日本を代表する世界的なギタリストである布袋寅泰さん。
実は私生活では2度の結婚を経験しています。
最初の結婚では、サポート活動で出会った歌手・山下久美子さんと逆玉の輿のような形で入籍し、その後に現在の嫁である今井美樹さんと略奪不倫の末に再婚。
意外にも思える泥沼を経験されていたのです。
今日は、布袋さんと今井美樹さんが結婚するまでに至る、ドロドロな略奪愛について書いてみたいと思います。
布袋寅泰は23歳で歌手・山下久美子と結婚。出会いはサポート活動
布袋寅泰さんの最初の結婚は1985年の23歳の頃でした。
1985年に当時サポートメンバーとして支えていた歌手の山下久美子さんと出会った同年に結婚しました。
山下久美子さんは1980年代にブレイクした歌手で、当時は「学園祭の女王」「総立ちの久美子」の異名で知られました。
名前 | 山下久美子 |
出身地 | 大分県別府市 |
身長 | 166センチ |
血液型 | O型 |
最終学歴 | 別府大学附属高等学校中退 |
出会った当初は、布袋さんよりも山下さんの方が知名度が高く、4歳年上ということで”良いお姉さん”のような存在でありました。
サポートの仕事で意気投合し出会った同年にスピード結婚
布袋さんと山下さんの馴れ初めは、1985年の山下久美子さんのアルバム『BLONDE』に、プロデューサーの吉田健さんが、当時無名だった布袋寅泰さんをサポートギターとして連れてきたことがきっかけです。
2人が出会った最初のことは、山下久美子さんの自伝でも詳細に書かれており、当時から布袋さんは高身長にピンクと黒のチェックの派手なスーツ、そして逆立った髪型と存在感抜群でした。
初対面の頃は会話も少なかったですが、一緒にスタジオで過ごしてるうちに音で通じ合えて好きになったそうです。
山下さんは布袋さんの奏でる音色の虜になったのと同時に、人としても布袋さんという人物に出会えたことに感動したそうです。
山下久美子さんは、
「それからリズム録りを終える約二週間ほどの毎日を、彼とスタジオで過ごした。仮歌を入れるためにブースで隣り合わせたとき、姿は見えないけれど、私たちはすでに互いに惹かれ合っていると、感じた。」
と、布袋さんも山下さんの歌唱を通じて愛してくれていると感じ、運命を感じたそうです。
布袋さんのギターと自分の歌が触発し合い溶け合い、心と声が一致し、久しぶりにエクスタシーを感じ興奮し、一気に布袋さんにのめり込み、心を許せるようになったそうです。
その後、2人はいつも一緒で、周囲も公認のお似合いのカップルとなり、代官山の山下さんのマンションで同棲生活がスタート。
1985年の12月には布袋さんが広尾のバーで山下さんに「結婚しようか」とプロポーズ、この時のことを山下さんは「私が(向こうに)言わせた」と語っています。
そのままスピード結婚に至り、布袋さんは12月24日のBOOWYのコンサート、山下さんは12月26日に自分のコンサートそれぞれ結婚を発表しました。
六本木で豪華な結婚式
山下久美子さんと布袋さんは出会ってすぐに交際に発展し、スピード結婚。
結婚時、布袋さんが23歳で山下さんが27歳の頃でした。
結婚式は1986年1月27日に六本木のフランシスカン・チャベルセンターで行われました。
会場には100人を超える報道陣が駆け付けるなど、2人の結婚式はとても注目されました。
布袋さんは挙式のリハーサルから号泣し、結婚時には「緊張して心臓が止まっちゃうかなと思ったんだけど、ちゃんと俺が彼女のことを愛してる気持ちが心臓を止めなかったみたい」と熱烈にコメント。
山下さんも「すごい幸せだし、言葉にならないからその分、涙でグショグショになってしまって」「彼ことはすごい好きだし、赤い糸的なものを感じるし、これが一番自然なんだろうなという気がします」とコメントしていました。
挙式には豪華なミュージシャンが集結し、アン・ルイス、吉川晃司、大沢誉志幸、桑田佳祐さんらが登場し、豪華な演奏会があったそうです。
今でこそ、豪華夫婦の結婚という風に見えますが、当時の布袋さんは知名度も低く、世間からは「格差結婚だ」との心無い声もありました。
それでも山下さんは「年下ですごい良かった。年下だから私をすごい惹きつけてくれる」と前向きにコメントしていました。
赤ちゃんの予定については「神に任せます」とコメントしていましたが、その後に離婚するまでに2人の間に子供が生まれることはありませんでした。
布袋と山下久美子の結婚生活。BOOWYのブレイクと布袋の才能の開花
布袋さんと山下久美子さんの結婚生活は波乱に満ちていました。
夫婦揃って一晩で強いボトル1本を開けてしまう、久美子さんは朝ごはんを作れない、布袋さんは家事の協力ができなくなっていくなど。
特に布袋さんが加入していたBOOWYの人気が火が付いてからは、「布袋に敵わない」と立場が逆転したことに複雑な心境に陥ったそうです。
有名なのが、布袋さんが山下さんの元彼を巡って山下さんと殴り合いの喧嘩をしたという逸話。
特に若い彼に至っては、嫉妬心においても尋常ではなかった「レッドシューズ」で呑んでいたときに、昔のボーイフレンドが入ってきたというだけで喧嘩になったり、たまたま居合わせた吉川が仲裁に入ると、今度は彼らが殴り合いを始めたりする始末だった。などの目撃情報もありました。
吉川晃司さんが夫婦の喧嘩の仲裁に入るなど、かなり荒れた状況だったそうです。
布袋さんは山下さんの露出の多い衣装に苦言を呈すなど、若さゆえの嫉妬心もすごかったそうです。
ある時には、布袋さんが夫婦喧嘩でカッとなり、マンションの6階から服を全部投げ捨て、自身も服を脱いで飛び降りようとするという事件もあったそうです。
1987年にはBOOWYが解散し、1988年に山下さんは2年間活動休止を発表し、休止後は料理に精を出したり、愛犬を飼ったり、子作りをしようとしたり、山下さんなりにも色々と頑張って結婚生活を立て直そうと励みました。
しかし、1991年に山下さんが活動を再開する頃には、布袋さんはイギリスに渡ることが増え、夫婦生活の行き違いは埋まられませんでした。
1994年に布袋さんの一声で南青山に地下スタジオ付きの自宅を建て、1995年から同居しますが2人が一緒に住む時間は短かったとされます。
それでも1985年から1997年まで12年間も結婚生活を送り、何だかんだでスピード離婚とはなりませんでした。
今井美樹が友人だった山下久美子から布袋を奪う。不倫中は嫌がらせで攻撃?
1985年にスピード結婚し、数々の喧嘩やトラブルを乗り越えた布袋さんと山下久美子さん。
しかし、残念ながら1997年に2人は離婚することとなりました。
離婚の原因は、現在の布袋さんの奥さんである今井美樹さんの略奪愛だと言われています。
山下久美子さんのサポートメンバーのドラムが今井美樹さんと交際していた縁と、当時は今井さんが山下さんに憧れていたことから、2人は若い頃から何でも話し合える親友のような関係でした。
1992年に布袋さんが今井美樹さんに「fllow into space」を提供した頃から、布袋さんと今井美樹さんの関係が怪しくなっていきました。
1996年には今井美樹さんの代表曲「PRIDE」を布袋さんの自宅の地下スタジオで一緒に作り上げヒットさせた頃には、2人の間に特別な絆が芽生えていたそうです。
山下さんは完成したばかりの「PRIDE」のデモを聴いて、離婚することを決断したそうです。
最終的には、山下さんが布袋さんに今井美樹さんが好きか尋ね、布袋さんが「好きだよ」と答えてしまう状況にまでなります。
今井美樹が山下久美子に嫌がらせ?離婚届の投函や悪戯電話
ある打ち上げて、山下さんは布袋さんと今井美樹さんの不倫関係を確信します。
打ち上げで布袋さんの隣に座った山下さんですが、どことなく疎外感を感じ、さらに布袋さんが指を出して甘えた際に山下さんが指に触れると、今井さんが苛立った様子で席を立ったそうです。
「お疲れさまーっ」私は努めて明るい声で言うと、彼の横に座った。けれども、それはもともとふたりがいた空間に、違う人が入り込んでいったかのような雰囲気で、何とも妙だった。
なぜ、私はこんなことを感じているのだろう?
突然彼が「さっきステージで指を折っちゃったかもしれないんだ」と、私の前に指を差し出した。
どことなく甘える仕草で。「どの指?」と私は手に触れた。そのときだった。
彼女が少し苛立った感じで「私 途中下車しまーすっ!」と言ったのは。え?途中下車って何っ!?言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。事態は思ったより深刻だったことに気付いた。
この打ち上げで山下さんは今井美樹さんの布袋さんに対する気持ちを確信したのです。
山下さんが2人の不倫関係に勘付いた頃、布袋さんが今井さんの家に行って帰ってこないこともあるなど大胆な行動が増えたそうです。
ある時には自宅のポストに離婚届が投函されるなどの悪戯もあり、山下さんは精神的にも痛めつけられました。
ある日、山下さんの自宅に今井さんが電話が来て、今井さんが「(布袋)彼いる?」と聞き、山下さんが「いない」と答えると、今井さんが「あ、今シャワーだ(布袋が)」と言って切るという嫌がらせもあったそうです。
結局、1997年に山下さんと布袋さんは離婚することとなりました。
山下久美子は離婚する最後まで布袋に特別な感情を抱いていた?
散々な略奪愛の末に4歳年下の布袋さんを元親友・今井美樹さんに奪われてしまった山下久美子さん。
1997年に離婚する前年、1996年に憧れのミュージシャン”デヴィッド・ボウイ”が来日し、布袋さんはオープニングアクトを務めました。
その頃に不倫関係で夫婦仲は破綻していましたが、山下さんは夫がデヴィッド・ボウイと共演したことを誇らしく想い、自分のことのように嬉しかったそうです。
色々と辛いことがありながらも、布袋さんと愛し合った記憶があり、最終的には憎めないところに行き着いたのです。
山下さんは「たとえ、彼に好きな人ができたとしても。憎めたなら、どんなに楽だったか」とコメントしています。
ちなみに離婚する際、山下さんは南青山に建てた自宅を「この家が好きなの。この家をくれたら他に何もいらない」と財産分与の名目で譲り受けたそうです。
離婚する最後まで、「布袋くん」「久美ちゃん」の呼び名も変わらなかったそうで、実は最後まで純愛を貫いた良い夫婦だったのかもしれません。
最後まで思い出を大切に愛した山下さんについては、「粋でかっこいい」「これが真実の愛」だと讃える声が多くありました。
布袋と山下久美子の出会いから略奪離婚まで
1985年 | 布袋が山下久美子の「BLONDE」のレコーディングに参加し出会う。代官山の山下の自宅で同棲開始。 |
1985年12月 | 広尾のバー「ピュルテ」で布袋が山下久美子にプロポーズ |
1985年12月24日 | 布袋がBOOWYのライブで結婚を発表 |
1985年12月26日 | 山下が自身の新宿のライブで結婚を報告 |
1986年1月26日 | 六本木の「フランシスカン・チャベル・センター」で結婚式 |
1986年12月 | 布袋が在籍するBOOWYの「わがままジュリエット」が大ヒット |
1987年 | BOOWYが「マリオネット」を大ヒットさせ日本を代表するバンドに成長。芸能界での立場が逆転。 |
1988年4月5日 | BOOWYがバンド活動終結 |
1988年12月5日 | 山下久美子が活動休止 |
1990年 | 山下久美子が活動再開 |
1990年 | 布袋のCOMPLEXが活動休止。休止後は海外での仕事が増える |
1992年 | 布袋が今井美樹に初めての楽曲提供 |
1993年 | 布袋がアルバムレコーディングのため半年間イギリスの渡る |
1995年2月 | 南青山に地下スタジオ付きの豪邸を建てる |
1996年 | 布袋が手掛けた今井美樹の「プライド」が大ヒット |
1997年 | 布袋と山下久美子が離婚を発表 |