米津玄師の意外な経歴。母は美術の教員免許を持ち父はIT系。家族断絶とイジメと自閉症

10年代後半
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日本を代表するシンガーソングライター・米津玄師さん。

若くしてプレイヤーとしてもクリエイターとしても成功したものの、本人は表舞台への露出は遠慮し続け、謎多き天才として知られます。

今日は米津玄師さんの出身や経歴、家族、学生時代について書いてみたいと思います。

米津玄師の少年時代。本名が原因でいじめを受ける。家族構成は姉と父母

米津玄師さんは1991年3月10日に徳島県に生まれました。

家族は両親と姉と米津玄師さんの4人家族。

父親はコンピューター関係の仕事をしており、母親は美術の教員免許を持つ方でした。

父の職場が富士通だという噂が出たことがありましたが、この部分の真相は不明です。

母親は先生の仕事はしていませんでしたが、自宅でチラシ作りの内職をするなど、ちょっとした芸術系の仕事をしており、米津さんはそんな母親の姿を見て育ちました。

自宅にはグランドピアノがあり、米津さん自身はピアノを習っていませんでしたが、姉が弾いてたピアノを横で聴いており、間違えたりするとすぐに分かったり耳は鍛えられていたそうです。

名前 米津玄師
別名 ハチ。蛙屋(かわずや)。
生年月日 1991310
出身地 徳島県徳島市
血液型 O型
身長 188センチ
出身小学校 徳島市立津田小学校
出身中学校 徳島市立津田中学校
出身高校 徳島県立徳島商業高校
出身大学(専門) 大阪美術専門学校(中退)

子供の頃の米津玄師は絵が好きで漫画家が夢。高機能自閉症のコミュ障

米津玄師さんは地元・徳島市の公立校の津田小学校に通いました。

幼少期から高機能自閉症を患っており、人とコミュニケーションをとるのが非常に苦手で友達も少なく、常に1人で絵を描いているような子供で当時の夢は漫画家でした。

”米津玄師”は本名で、ある週刊誌で地元の方が変わった名前が原因でイジメを受けていたこともあったと語っていました。

この頃から自分の妄想から生まれたキャラクターと会話するなどクリエイティブな一面が顕になっていました。

小学校高学年ぐらいの時にはもう、居心地の悪さみたいなものを感じていて。その中で編み出したのは、自分の頭の中で架空の人物と話すっていう。そこではちゃんと会話が成り立っていて、あたりまえのことをあたりまえに楽しみ合ったり、あたりまえのように反発し合ったりして……俺はずっと、普通の人になりたかったんですよ」引用:エキサイト

子供の頃から祖父が大好きで、祖父が亡くなった後に2018年のNHK紅白歌合戦に出場しましたが、オファーを受けたのは祖父が紅白が好きだったことが理由でした。

出場した紅白では亡くなった祖父に「LEMON」を捧げました。

また当時ヒットしていた映画「千と千尋の神隠し」の影響で関連する書籍や他のジブリ作品も好きになり、当時のインプットが後の創作活動に影響を与えたと語っています。

初めて購入した音楽は小学生の頃に流行していた「だんご三兄弟」で、高学年になる頃にはネットでBUMP OF CHICKENの音楽に出会いジャンル問わず音楽の魅力にのめり込んでいきました。

米津玄師の学生時代。イジメを受けるも中学生にして作詞作曲やバンドも結成

米津玄師さんは地元・徳島市内の公立校の津田中学校に進学し、学校ではテニス部に在籍しました。

幼少期から自閉症を患っていたこともあり、他人とコミュニケーションを取るのが苦手で中学時代も人間関係に悩まされました。

この頃にイジメを受けていたことを過去にブログで触れていました。

むかし僕が学生だったころは、所謂「いじめ」というものに今より密接な環境にいたので、その構造についてよく考えた。学校のような閉鎖的な空間にいじめはつきものだ。

イジメの構造について綴り、自分がイジメを受けた経験からも、イジメが簡単になくなるものではないこと、本人の努力だけではどうにもならないと語っていました。

トロい、歩き方や喋り方が変、共同生活に対するリテラシーがないなど、理由は様々だけど、けっきょく標的にされるのは大多数が当たり前にできることができない人間だった。

学校の休み時間は宮沢賢治、石川啄木、種田山頭火などの本を読んで静かに過ごすタイプだったそうです。

米津玄師さんは中学時代を振り返って「悶々と生きていた」とも話しており、当時は自分のことを分かってくれる人や話の合う人、趣味の合う人は周りにはいなかったとも語っています。

人間関係で悩む一方で、中学時代はスピッツやアジカン、BUNP OF CHICKEN、RADWIMPSなどの邦楽ロックに本格的にハマり、自分で作詞作曲をするようになりました。

当初はギターで作曲していましたが納得するものが作れなかったことから、中学2年頃からパソコンでの打ち込みでの作曲を始め、早々に才能を開花させました。

最初に完成した曲は当時好きだったNHKの「みんなのうた」に影響を受けた「えのぐの歌」という曲で、同じ2年生の頃に幼馴染とバンドを組み、このあたりからプロになりたいと思いはじめたそうです。

中学3年生になる頃にはマルチトラック・レコーダーを使用して作曲も行うようになるなど、本格的に創作活動にのめり込んでいきました。

高校時代は音楽制作に明け暮れる

米津玄師さんは県立の共学校の徳島商業高校に進学、同校は甲子園で優勝経験もある硬式野球部を筆頭に、スポーツが盛んであることで知られています。

米津さんは高校生になっても自閉症の症状は変わらず、高校時代もあまり周囲の人とは絡まず孤独に過ごしていました。

高校時代はギターを担いで自転車で通い、在学中は楽曲や動画の製作に明け暮れました。

昼休みにはいつもイヤフォンをつけて音楽を聴いており、話しかけられるのが嫌で、同級生が声をかけたらものすごく怒ったという逸話があり、教室が騒がしかった時にはが机をバーンと叩いて、教室を出て行ったこともあったそう。

文化祭には「Toy Circus Show」というバンドを率いて演奏を披露するも、本人は「楽しくなかった」と回想してます。

「高校生になってからも何回かライブやったんです。その時に、何をどうしていいかわかんない感覚がすごくあって。スタジオで音を出しても、自分の声がまったくきこえなかったりとか、全然楽しくなくて。楽しもう楽しもうとはしてるんですけど、「ほんとにこれ、楽しいのかな」って思ってて……どうしたらいいのかわからない、っていうのがあって」

高校時代にはバンド以外にもダンスにも挑戦してみたそうですが、全然うまく踊れずに辞めてしまったそう。

学校活動以外では家から自転車ですぐの音楽ショップに入り浸り、高校3年生の頃には「Late rabbit edda」というバンドで10代限定のロックフェス「閃光ライオット」に応募するも2次審査で落選

高校時代は総じてあまり良い思い出がなかったとのことです。

専門学生時代にボカロで「ハチ」の名前で活動しニコニコ動画で人気者

米津玄師さんは高校卒業後は大学には進学せず、大阪美術専門学校に通います。

実家のある徳島を離れ、大阪で暮らし始めましたが、この時に生活のためにバイトをするということはなかったそうです。

専門入学当初に「ハチ」名義でニコニコ動画への投稿を開始します。※「ハチ」の由来は姉が漫画「NANA」のファンで主人公のあだ名から

最初は本人が歌う形で30本程度の動画をニコ動に投稿しましたが、実力不足を感じてその後に削除、VOCLOID(ボカロ)を使って動画を製作するようになり大ウケし、ボカロ界で有名人となります。

その頃にVampire Weekendのデビューアルバム「Vampire Weekend」の独創的で無駄のない音楽に衝撃を受け、現在までにバイブルしてると語り、その他にも「トーキングヘッズ」の「リメインライト」というアルバムにも影響を受けたそうです。

米津さんは専門学生時代はまったく勉強せず、同級生とベースボーカルでバンドを組むもパッとせず活動休止。

有意義な時間を過ごすことなく、わずか1年で退学してしまいます。

「学生としてはしょーもない学生で、学校から絵の技術なども学んだことはなく、何しに学校に行ってたのか?と聞かれたら、ほぼ遊びに行っていたので、学校の憩いの場みたいな休憩スペースでひたすらモンハン(ゲーム)と卓球をやるような学生だった」

退学後はボカロでの制作に没頭。

ニコニコ動画での話題は広がっていき、2010年には自主制作アルバムの「花束と水槽」をリリース。

動画やアルバムの投稿で才能を見出され、2013年にはメジャーデビュー。

メジャーデビュー後は、数々のヒット曲をリリースし2018年にはNHKの紅白歌合戦に出場、プロデュースを担当した「foorin」の「パプリカ」も大ヒットするなど国民的ミュージシャンとなりました。

米津玄師の家族断絶。父との会話はなく母と姉との距離感も遠かった

幼少期から学生時代に至るまで人とのコミニュケーションが苦手だった米津玄師さん。

その要因の1つとして子供時代からの家族との関わりも影響してると言われています。

米津さんは幼少のころから、お父さんとの会話がほとんどなかったようです。

自分のお父さんの情報が勤務先などの基本的な情報しか知らず、親戚のおじさんやあまり仲の良くない友人がいるような感覚だったそう。

自分から話しかけることもなければ、お父さんの方から話してくれることもなく、普通の父と息子の関係ではなかったようです。

それでも、とある親戚との集まりで間接的に自分に語っているような会話が聞こえたらしく、そこから見直したところもあったそうです。

母親と姉とはほとんど会話せず家族内で孤立

米津玄師さんの母親は美術の教員免許を持つなど、芸術に精通された方で米津さんの絵のうまさはお母さんの遺伝が強いと言われています。

父親とは全く会話がなかったのに対して、お母さんやお姉さんとは比較的仲が良かったようで頻繁に話していたそう。

しかし、お姉さんとお母さんの他愛のないケンカが絶えず、ある日そのことがキッカケで、その空間に違和感を覚え、口数が減っていき、家族内の会話も米津さん抜きでされることも多かったとか。

2015年に人気音楽雑誌「ロッキンジャパン」でのインタビューでは”家族との断絶”との見出しがあり、ファンに衝撃を与えました。

実際は家族と断絶していたわけではありませんが、その独特な距離感が米津玄師さんの凝った世界観に大きな影響を与えたとされています。

ちなみに、現在では実家に帰った話などもしていることから、決して両親や姉との縁を切ったというわけではないようです。

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