今ではソロミュージシャンとしても成功を収めた元KAT-TUNの赤西仁さん。
世間ではグループ在籍時からソロデビュー後の成人期の色気溢れる姿がお馴染みです。
実はKAT-TUNとしてメディアにバンバン出る以前の青年時代の赤西仁さんも、また美しいです!
ジャニーズJr.時代の赤西さんの凄みはガチ勢は知っていましたが一般的にはマイナーな部分でした。
ルッキズムな現代になって10代の頃の赤西さんのイケメン度が改めて評価されるようになりました。
今日は赤西仁さんの生い立ちや経歴と共に、10代から20代までの若き日の赤西仁さんについて振り返ってみたいと思います。
赤西仁は千葉県生まれ。母が15歳で妊娠し16歳で出産
赤西仁さんは1984年7月4日に千葉県に生まれました。
| 本名 | 赤西仁 |
| 生年月日 | 1984年7月4日 |
| 出生地 | 千葉県 |
| 出身地 | 東京都江東区東砂 |
| 血液型 | O型 |
| 身長 | 176センチ |
| 家族 | 母「ひろみ」。3歳年下の弟「礼保」。 |
| 出身小学校 | 江東区立第七砂町小学校 (親の離婚の都合で1年生の間は通えず、2年生から入学) |
| 出身中学 | 江東区立第二砂町中学校 (2年生までサッカー部) |
| 出身高校 | 私立立志舎高等学校通信科中退(在籍期間は3ヶ月。登校回数は3回) |
| 趣味 | サッカー |
| 職業 | 俳優。歌手。 |
母の”’ひろみ”さんは15歳で仁さんを妊娠し、16歳で出産と、リアル「16歳の母」でした。
父親も仁さんが誕生した当時は18歳と若い父親でした。

3歳年下の弟・礼保さんも同じ両親から誕生し、その後に両親は離婚。
離婚以降は母の手一つで母子家庭として育ちました。
母の”ひろみ”さんはファンの間で有名で、赤西仁さんの配信に音声で登場することもありました。

料理上手な美人母として知られ、売れた後も赤西さんは母のお弁当を食べてる姿が目撃されていました。※交友のある錦戸さんは昔にしょっちゅう赤西家で食事をご馳走になっていたそう
そんな母と父の離婚当時、赤西仁さんは小学生になる手前で、離婚の影響で千葉県から東京に移住。

色々とゴダゴダしたせいか、小学校は1年生から通えなかったそうです。
赤西仁は小学生の頃にイジメに遭うも中学で返り討ち
赤西仁は小学校を1年から通えず、2年生から江東区立第七砂町小学校に入学。
小学4年生の頃からいじめられ始め、この時のいじめ被害のことは出演した番組の中でも語っています。

赤西さん曰く、いじめられた原因は不明で、「イジメに理由はないと思う」との解釈で回想していました。
小学生になるとサッカーを始め、所属チームではレギュラーとして活躍。
リフティングは838回を記録し、地元・江東区の選抜メンバーに選出される有望なサッカー少年でした。
江東区立第二砂町中学校に進学すると、小学生の頃のイジメの主犯格と同じ学校となり、「このままではマズイ」と入学してすぐに主犯格をボコボコに返り討ち。
背が高く運動神経が良かった赤西さんだけに、集団ではなく1人であればいつでも倒せると踏んでの計画的復讐だったのかもしれませんね。
赤西仁は中学2年でジャニーズ入り
中学生になった頃にテレビ番組で歳の近い錦戸亮さんが歌う姿を観て衝撃を受けます。
錦戸さんのようにテレビで歌うことに憧れ、1998年夏の中学2年の頃に履歴書を送りジャニーズのオーディションを受けることに。
結果は不合格も名札を返した相手が偶然ジャニー喜多川社長で、名札番号がNo.1だったため「YOUも残っちゃいなよ」と言われて繰り上げ合格。

1998年11月8日に入所となり、同期にはKAT-TUNで一緒となる亀梨和也、中丸雄一を筆頭に、増田貴久、藤ヶ谷太輔など後の大物が多くいました。
ジャニーズに合格したことにより、小学生の頃から続けていたサッカーを中学2年で辞めることとなります。
サッカーをスパッと辞めてジャニーズに専念したのは赤西さんらしいですが、売れた後もメディアで”憧れの職業”に「プロサッカー選手」を挙げています。

日本代表になれるならすぐにでも仕事を辞める覚悟があると述べるなどサッカーへの未練は残っているようです。
ジュニア時代の赤西仁。あまりにも完成された10代
中学2年でジャニーズに入所した赤西仁さん。
高校生になった2000年からジャニーズJr.として「B.A.D.」や「M.A.D.」に参加。
持ち前のルックスの良さとダンススキルの高さから、ジャニーズファンの間でも知られる存在となりました。
同期の亀梨和也さんとの共演も多くありました。

亀梨さんと一緒にいる赤西さんは”良いお兄さん”で名コンビでありました。※後に”仁亀”と呼ばれました

ジュニアとして頭角を表した一方で、進学した私立立志舎高等学校の通信は僅か3ヶ月で退学。
なんとも僅か3回しか登校していなかったようで、通信学習が肌に合わなかったことが伺えます。
2001年に堂本光一の専属バックダンサーとして結成された「KAT-TUN」のメンバーに選ばれます。

デビュー前から赤西仁さんのルックスは実質ジャニーズNo. 1とも言われていました。

生粋のジャニーズファンの間では知らない人はいないほどの人気者。
しかし、当時は滝沢秀明、山下智久、嵐など近い世代に大物が多く、一般的には知られない存在でもありました。

数いる人気ジュニアの1人ではありましたが、特別に頭が抜けてるわけではありませんでした。
それでも18歳、19歳と徐々にビジュアルも垢抜けていき、コツコツとファンを増やしていきました。

20歳前後のジュニア末期になると人気が爆発。
かつては憧れていた錦戸亮さんの人気にも追いつき、仲良しとなりました。

ライブ会場で赤西さんが登場するとファンから悲鳴のような声援が上がるようになっていました。

ジャニーズファンの専門誌では「彼氏にしたいジュニア」ランキングで、遂に山Pを抑えて1位を獲得。

現在でも、世間にバレる前の赤西さんのワクワク感を懐かしむファンがいます。
KAT-TUNで売れた20代の赤西仁。素行が良ければキムタクの再来だった?
ジュニアの末には無双状態だった赤西仁さん。

既に将来のジョニーズを担うポテンシャルでありましたが、在籍していたKAT-TUNはなかなかデビューさせてもらえませんでした。

デビューはさせてもらないものの、メディアで目立った活動が増え、女性を中心にファンを増やしていきました。
20歳になる頃、赤西さんのルックスはさらに洗練され、世間から脚光を浴びます。

同じ頃、かつては格上であった山下智久さんの人気にも追いつき始め、共演も増えて2人も仲良しになっていきました。
この頃、赤西さんと山下さんと自宅が近く、一緒に健康ランドに行くなどしていたそうです。
2005年、デビュー前にも関わらず人気ドラマ「ごくせん2」に出演。

21歳での高校生役でしたが、金八先生で知名度の高かった亀梨さんと対等な存在感を示し、既にスター級の人気を獲得しました。

この頃に「赤西派」と「亀梨派」という言葉が誕生し、2人のライバル関係はKAT-TUNの活動に良い相乗効果をもたらしました。

「赤西派」には男性の割合が多く、当時の若手ジャニーズには珍しく男性ファンも獲得していました。
2006年にKAT-TUNは念願のレコードデビューが決定し、デビュー前には異例の東京ドーム公演を行い成功。

デビューまでの助走が長かった分、歴史的な売れ方をしましたが、それも赤西仁さんのカリスマ性が影響してたと言えます。
ちなみに、この頃のジャニーズJr.ではダルそうにダンスを踊ったり、アイロンで毛先を跳ねさせるなど、赤西仁さんに影響を受ける子が続出したそうです。

美容室でも赤西さんの髪型をオーダーする男性が増え、”次世代のキムタク”との期待もありました。
イケメンぶりは最高だが時代最強とは言い難かった?
赤西さんの全盛期は2006年頃という声が多いです。
確かに当時の赤西さんのイケメンぶりは驚異的でしたが、実はその時代最強というほどではありませんでした。
この時代は赤西さん以外にも魅力的な男性が多くおり、「好きな男ランキング」でも赤西さんは下位でした。

同じジャニーズだけでも、SMAP、タッキー、長瀬智也、KinKi Kidsの2人、さらには亀梨和也さんよりも赤西さんはランクが下でした。
というのも、赤西さんの顔の良さを認める反面、行動などが好みではない女性が多かったのです。
2006年にブレイクして以降、藤本美貴、上原多香子、RINA、加藤ローサ、香椎由宇、藤井リナ、宮崎麗香、西山茉希など、多くの美女との恋が噂になりました。

デビューして間もないアイドルが、短期間に多くの美女と熱愛報道が出るというのは珍しい事例です。
音楽だけで人気を集めていたわけではなかった分、女性ファンの赤西さんを見る目は厳しかったようです。
デビューしてすぐに留学、ソロ、脱退、結婚、退所。←20代の内に全て
圧倒的なイケメンぶりであったにも関わらず、時代のアイコンとまではならなかった赤西仁さん。
その原因は、主に赤西さん自身の素行にありました。
デビュー&ブレイクの同年2006年10月、語学留学を理由に活動を無期限休止。

翌年2007年4月に帰国したかと思えば、その頃から週刊誌に狙われ、山Pらと港区を乱歩する様を「赤西軍団」として揶揄されるようになりました。
復帰後の3年間はKAT-TUNや俳優としての活動を全うし、さすがの結果を残しましたが、それは長く続きませんでした。

2010年に映画出演に付随したソロ曲が売れた後、KAT-TUNとソロのライブが被り、赤西さんはソロを優先し、10月には脱退を発表。
脱退後は赤西さんのグループ復帰を願う声もありましたが、翌年2011年にはソロとしてオリコン1位を獲得しライブ活動も順調と、復帰の気配は全くありません。
28歳になった2012年には、ジャニーズ事務所に無断で女優・黒木メイサさんと授かり婚。

身勝手な行動だったことから主演予定のドラマ「GTO」を降板させられるなどのペナルティを受け、謹慎処分を受けました。
ようやく復帰したかと思えば、その後はジャニーズ事務所を退所し、ファンクラブも解散。

脱退した2010年から2014年の4年間は、ファンにとっての「嫌な予感」が全てその通りになる辛い期間でした。
若い頃に”自分の道を選んだ”ことが赤西仁の魅力の真骨頂
2010年から2014年まで脱退、結婚、退所と色々ありました。
問題だらけだった4年間の赤西仁さんは26歳〜30歳と、男性アイドルにとって大切な時期でした。
もし、ソロと並行してKAT-TUNの活動を行い両方でチャートを独占していれば。
もし、順当にGTOの主演を張り俳優としてのキャリアも積み上げていれば。
赤西仁さんは”次世代のキムタク”に本当になっていたかもしれませんね。
それでも、赤西仁さんは”自分のやりたいことをやる”と、アメリカを拠点にソロ活動を本格的に行い、世界中でファンを獲得しました。
また、子煩悩な父親としても私生活を充実させました。

アイドル時代から「早く結婚したい」「子供が欲しい」と発言しており、それを希望通りに実現させました。
ジャニーズ退所後は「世界で最もハンサムな顔100人」に6年連続で選出。
東洋アジアの大きな祭典で偉大な賞をもらうなど、世界を舞台に結果を出しています。
第二のキムタクにはなりませんでしたが、赤西さんにとっての20代は本人にとって後悔のないものだったと思われます。




























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