赤西仁さんといえばKAT-TUNで活躍した後にソロとしても成功した日本を代表するスーパースターです。
実は赤西仁さんの3歳年下の弟・礼保(れお)も同じく歌手として活動しています。
あまり脚光を浴びない弟の礼保さんですが、時よりネットで話題になることがあります。
今日は赤西仁さんの弟・礼保さんの経歴や兄との関係について書いてみたいと思います。
赤西仁の3歳年下の弟・礼保(れお)。学生時代はサッカーで活躍!
赤西仁さんは1984年7月4日生まれ、弟の礼保さんは1987年12月11日生まれです。
お母さんの「ひろみ」さんは16歳の頃(父は18歳)に赤西仁さんと産んだと有名ですが、3年後の19歳の頃に弟の礼保さんを出産。

赤西仁さんの母は料理上手で、デビューから現在までに仲良しで話題に出すことが多く、ファンの間で有名。

弟も若くてハートフルは母親に育てられたということになります。
弟の出生は兄と同じく千葉県で、幼少期に東京都に移り住んでいます。
| 芸名 | 颯太(ふうた)→礼保(れお)→伶王(れお) |
| 本名 | 赤西礼保(れお) |
| 生年月日 | 1987年12月11日 |
| 出身地 | 東京都 |
| 血液型 | A型 |
| 身長 | 172センチ |
| 趣味 | サッカー。ドライブ。 |
| 職業 | 俳優。歌手。映画監督。 |
特技は兄と同じくサッカー!中学時代に都大会で準優勝の実績
赤西仁さんは子供の頃にサッカーを習っており、小学生時代にはサッカーで江東区選抜に選出。
リフティング回数の最高記録は838回と、ジャニーズに入っていなければユースに入って、いずれはJリーガーになっていた可能性すらあります。

実は弟の礼保さんも小学1年生の頃から同じくサッカーを習っていました。
礼保さんも兄と同じくサッカーの才能に溢れ、中学時代にはフォワードのレギュラーとして活躍し、なんと中学時代には都大会で準優勝してます。
ちなみに赤西仁さんは江東区立第二砂町中学校 に通っていましたが、弟の礼保さんもおそらく同じ中学出身だと思われます。
学生時代の頃からハリウッド映画に憧れ、18歳で芸能事務所に入っています。

ちなみにこの頃、赤西仁さんは「ごくせん」で一世風靡しており、兄からも強い刺激を受けていたことが想像できます。

また、ジャニーズ事務所じゃなかったことや、芸名が「颯太(ふうた)」だったことから、当初は兄の七光を嫌がっていたことが伺えます。
赤西仁と弟・礼保の親が違う説はガセ!母子家庭育ち
赤西仁さんは母親が16歳、父親が18歳の頃に産んだ子供で、その3年後に弟の礼保さんが誕生しています。
母親と父親は赤西仁さんが幼少期の頃に離婚し、小学1年生の間は通えず、2年生から入学と複雑な環境でした。

離婚後は弟の礼保さん共に母の手ひとつで育てられました。
昔にネット上で母が離婚に再婚したという噂があり、その影響で兄の仁さんと弟の礼保さんの父親が違うという都市伝説が出たことがあります。
実際には離婚後に母親は再婚しておらず、2人共に同じ父親から誕生していことから、これらはガセネタであることがわかっています。
弟・礼保は芸能活動に苦戦?一時期は兄と比較で誹謗中傷に悩む
赤西仁さんの弟の礼保さん2005年の18歳の頃に芸能事務所に入りました。
同じ頃、D-BOYSの第2回のオーディションを受けており、最終選考まで残り話題になりました。

オーディション当時、礼保さんは顎にテーピングを付けていましたが、これはバク転に失敗して怪我をしたとのこと。
大事なオーディションに顔に怪我をして堂々出る感じが、なんとも兄貴の性格にそっくりです。
事務所に入った後、「颯太」の芸名でエキストラなどの活動を開始し、2008年には『飛行機雲 〜DJから特攻隊へ愛を込めて〜』で舞台デビューし、2009年には『三十九枚の年賀状』で映画デビューと順調でした。

その後も舞台、ドラマ、映画と出演しますが、兄のように飛躍とはなりませんでした。
2012年10月8日には「颯太」かた本名の「礼保」に改名し、所属事務所を「株式会社PORT REVE」に移籍して再始動すると自身のTwitterで発表。
2016年9月より苗字を含める「赤西礼保」に再改名し、歌手としても活動開始し、翌年2018年に独立して個人事務所「レッド・ウエスト」を立ち上げました。

2019年5月17日にファーストアルバムをリリースすると、【チケット無料 武者修行の全国ツアー】として、手売りでアルバムを2,000枚売り切るまで東京に帰れないという企画を実施し話題になりました。
企画中、ライブのない平日は路上ライブなどをしながら車で全国を回るなどし、無事に76日目で目標を達成しました。
歌手として幸先の良いスタートを切ったと思われましたが、その後にコロナ禍に突入する不運。
その後も活動のスケールは広がらず、スターである兄に埋もれる形となりました。
2025年1月1日に本名から「赤西伶王」に3度目の改名するなど、年齢的に見ても、弟の芸能活動はかなり苦しい印象であります。
偉大過ぎる兄と比較され誹謗中傷被害
仕事は舞い込んでくるものの、兄ほどの知名度には及ばなかった弟。
2021年頃、弟が誹謗中傷に悩んでいた時期あったとの記事が出ました。
「SNSやDM(ダイレクトメッセージ)で誹謗中傷されます。」
「『才能ないのにまだ活動続けてんだ』『兄は超えられないよね』とか。」
中傷内容は兄との比較がメインだったようです。
当時、礼保さんは「反応したら負けだと思ってます。イラっとしますけど」と自身への中傷を我慢してきたことを語っていました。
ある時に反論の文章を作って投稿しようと思うも、それさえも堪え、今では誹謗中傷も割り切って活動してるようです。
兄も留学、結婚、脱退、ソロ、ジャニーズ退所とバッシングに晒されることが多くありましたが、その後に淡々と結果を出し続けました。

弟は匿名で誹謗中傷する人のことを「不幸せな方」と考えるなど、兄貴譲りのハートの強さも見せています。
赤西仁と弟・赤西礼保のエピソード
- 2012年に兄が結婚した際は会見で祝福した
- 「兄の七光り」を嫌い、赤西礼保から【颯太】に改名した。
- 赤西仁夫妻と4年ほど一緒に住んで育児を手伝い、娘をお風呂に入れるなどしていた。
- 2012年に自分のアメブロで兄と仲良しな錦戸のプライベート写真をアップした
- 2014年に兄・赤西仁が弟の誕生日を祝う投稿をした
- 兄弟の違いについて「兄が太陽なら俺は月」と例えた
- 兄の赤西仁が「少年倶楽部」で母親の年齢を間違えたことで、弟と腹違いの兄弟との都市伝説が出たことがある。
赤西仁と弟・礼保さの仲の現在
弟の礼保さんは兄が結婚した後に一緒に住んでた時期があるなど、大人になった後も仲良しであることが分かっています。
2人でも食事に行く仲で、2012年頃の報道で「赤西軍団」の一員に礼保さんの姿があったこともあります。

その後に赤西仁さんがソロか活動を本格的にすると、活動拠点をロサンゼルスに移します。
さらにはハワイにも別荘を買うなど、生活の変化に従って顔を合わせる機会が減ったそう。
それでも、礼保さんの舞台が決まると報告するよりも前に兄から連絡が来るなど、以心伝心な良い関係が続いてるようです。














コメント