人気ロックバンド・RADWIMPSといえば、ボーカルの野田洋次郎、ベースの武田祐介、ドラムの山口智史、元ギターの桑原彰さんの4人がお馴染みメンバーです。
しかし、実はRADWIMPSが結成された当初からのメンバーは野田洋次郎さんと桑原彰さんの2人のみで、ドラムの山口さんとベースの武田さんは途中加入組です。
つまり、初期メンバーで残っているのは野田洋次郎さんのみです。(※桑原彰は2024年脱退)
今日はRADWIMPSの初期メンバーについて書いてみたいと思います。
RADWIMPS結成から初期メンバー3人脱退までの流れ
RADWIMPSが結成されたきっかけは、野田洋次郎さんと斎木祐介さんが桐蔭学園中学で出会ったことから始まります。

斎木祐介さんは中学の文化祭で野田洋次郎さんがSMAPの「夜空ノムコウ」を歌ってる姿を見て感動。
その後、斎木さんは桐蔭学園中学から桑原彰さんが在籍する公立の中学に転校し、お互いに音楽好きで意気投合し、一緒にバンドを始めます。
桑原さんが斎木さんから転校前の中学にいた野田洋次郎さんの凄さを教えてもらい、すぐに勧誘。
2001年に桑原彰、野田洋次郎、斉木祐介(ギター)、朝生恵(ベース)、芝藤昭夫(ドラム)の5人でバンドを結成。
元メンバーらも野田洋次郎さんや桑原彰さんと同じ1985年生まれ、全員が同学年の同級生です。
| 名前 | 担当 | 生年月日 |
| 斉木祐介 | ギター | 1985年9月10日 |
| 朝生恵 | ベース | 1985年 |
| 芝藤昭夫 | ドラム | 1985年 |
当初はダサいバンド名でしたが、すぐに野田洋次郎さんの案で「RADWIMPS」に改名。
2002年2月5日、RADWIMPSとしての初のライブを関内B.B.STREETで行い大好評。
そして、2002年8月27日に「YOKOHAMA HIGHSCHOOL MUSIC FESTIVAL 2002」に「もしも」で出場しグランプリを獲得。
すぐさま、RADWIMPSは学生バンドマンの間で有名なバンドとなりました。
1stアルバム「RADWIMPS」の時点では武田祐介と山口智史は未加入
RADWIMPSは翌年2003年3月にもFM世田谷が主催する高校生文化祭・青二祭出演し存在感を示しました。
2003年5月3日に1万枚限定で1stシングル『もしも』(100円)を販売し、高校生バンドにして即完売という快挙。
2003年7月1日には高校生バンドにして1stアルバム『RADWIMPS』を発売。

つまり、ファーストアルバム「RADWIMPS」は初期メンバーでのレコーディングで、山口さんと武田さんは参加していなかったということになります。
野田洋次郎の受験で活動休止し再始動の際にメンバーチェンジ
ファーストアルバムをリリースした1か月後の2003年8月28日には前年優勝した「YOKOHAMA HIGHSCHOOL MUSIC FESTIVAL 2003」にゲスト出演。
圧巻のライブを披露し、このままメジャーバンドまで死角なしだと思われました。
しかし、ゲスト出演した2003年8月同月に野田洋次郎さんの受験勉強の影響でバンド活動休止。

2004年3月に野田洋次郎さんが無事に慶應義塾大学に合格し、活動再開の動きがありますが、この際にメンバーチェンジを行うことになります。
この間に斉木祐介(ギター)、朝生恵(ベース)、芝藤昭夫(ドラム)の3人が脱退。
代わりに武田祐介(ベース)と山口智史(ドラム)が加入。


こうして、野田洋次郎、桑原彰、武田祐介、山口智史の馴染みのメンバーが揃い大学生バンドとして活躍し、メジャーデビューすることとなります。※山口智史は2015年に休養、桑原彰は2024年に脱退。
初期メンバーの斉木祐介(ギター)、朝生恵(ベース)、芝藤昭夫(ドラム)の脱退理由
RADWIMPS結成当初からの初期メンバーであった斉木祐介(ギター)、朝生恵(ベース)、芝藤昭夫(ドラム)の3人は2004年3月までに脱退。
前年2003年にはファーストアルバムをリリースし、ライブ活動も大好評でありましたが、僅か6か月の活動休止期間の間に半分以上のメンバーが外れたということです。
そのまま続けていればメジャーデビューも夢ではなかった中での3人の脱退劇は、一見違和感がありますが、バンドの状況を考えると納得です。
脱退した主な理由には、当時の脱退したメンバーらも同じく高校3年生で進路を決めないといけない時期で、バンドの厳しい現実を前に無理な夢を追うのを辞めたと思われます。
RADWIMPSは活動再開しても、人気故にレコーディングやライブをたくさん行わないといけず、時間もお金も掛かります。
学生がバイトしながら単位を取り、レコーディングやライブ活動を続けるのは相当に苦しかったと思われます。※実際に野田洋次郎と山口智史は大学を中退

また、当時から野田洋次郎さんの作る作品は素晴らしかったですがメンバーに求められるモノが多く、負担も多かったそう。

初期から残った桑原彰さんは高校生の時点で”RADWIMPSに人生を捧げる”と中退していますが、それぐらいの覚悟がないと野田洋次郎さんと音楽を続けていくことができなかったということです。
ただ、斎木祐介さんに関しては、バンドを掛け持ちしたり、映像の専門に通って音楽に専念しなかったり、スタジオの練習にわざと遅れてくるなど、自身の素行の悪さから外されたと本人が証言しています。
映像の専門に通ったのは”MVを自分達で撮りたい”という想いがあったものの、素行の悪さからメンバー達に信用されなかったようです。
脱退した斎木祐介はホームレスを経験後に担々麺で成功!朝生恵はYouTubeでRADの弾き語り
元RADWIMPSの結成メンバー・斉木祐介(さいきゆうすけ)さん。
斉木さんは脱退後、小室哲哉さんのスタジオでバイトし、20歳の頃に元ブルーハーツのドラム梶原徹也さんと出会い「THUNDERBEAT」を結成。

梶原さんのプロジェクトに参加する傍ら、ギター講師もしていたようです。

22歳の頃に脳梗塞になり右半身不随となり、プレーヤーを諦め音楽のイベントやデザインの会社「DIPACK」を立ち上げます。

斉木さんは会社経営について何も分からず、資金を補う為に廃品回収やお花屋、WEB制作、婚活パーティーなどにも手を出しますが赤字のまま従業員の給料が払えずに倒産。
2018年頃から”プロの遊び人”と自称して遊びふけていたところ、同年2018年6月に坦々麺を好きになり、9月まで3ヶ月間、毎日坦々麺だけを食べ歩き研究。

自分なりのビジネスアイディアが降りてきたことで知人の料理人にレシピの相談などし、2018年10月には渋谷駅近くに汁なし担々麺専門店「担担担(タンタンタン)」をオープン。
オープン前後の4年間は友人の自宅や満喫を泊まり歩き、どこにも定住せずにホームレスのような状態になっていたそう。
元RADWIMPSという話題性と、当時は渋谷に汁なし担々麺がなかったということで順調に売り上げを上げ、メディアなどにも取り上げられました。

2023年のRADWIMPSも出演したROCK IN JAPANでは、斉木さんのお店もフェス飯で出店し間接的に共演し、野田洋次郎さんと再会。
斉木さんが野田さんに「来なよ」と言ったところ、野田さんに「嫌だよ」と照れてはぐらされたそうです。
朝生恵はYouTubeで弾き語りやアウトドア系の動画をアップ
RADWIMPSの元ベースの朝生恵(あそうけい)さんは、脱退後の経歴は不明です。

2018年頃から突如YouTubeチャンネルを立ち上げました。(登録は2009年)

YouTubeでは控えめに元RADWIMPSであることを明かしてますが、斉木さんほど露骨に強調はされず、大きく話題にもなっていません。
YouTubeでは奥さんとのことや、車やアウトドア系のことなどを取り上げており、過去にはRADWIMPSなどの弾き語り動画もあげていました。

RADWIMPSの「グランドエスケープ」をカバーした動画の概要には、
よーじろーの作詞、作曲センスが爆発していて、本当に良い曲です。 曲の冒頭に出てこの歌詞、 「空飛ぶ羽を引き換えに、繋ぎ合う手を選んだ僕ら、 それでも空に魅せられて、夢を重ねるのは罪か」 夢を重ねるのは罪か〜の歌詞になんかグッときますね! 本当に天才と思います。 人の愚かさ、儚さも表現している良い歌詞だと思います。
と野田洋次郎さんの天才ぶりを讃えています。
動画にはヴェジタリアンや有機野菜について書かれており、アウトドア中心の内容からも、健康的な生活を送っていることが伺えます。
芝藤昭夫も元気にしてる?
元メンバーで最も情報が少ないのが元ドラムの芝藤昭夫さんです。

脱退後の経歴はもちろん、芝藤さんが現在どこで何をしているのか分かりません。
2024年に坦々麺を成功させた斉木さんに関するメディアに芝藤さんのインタビューが登場したということで、消息不明というわけではないようです。








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