ミスチルの桜井和寿さんは東京都練馬区出身です。
東京生まれの東京育ちで、実家は工務店を営み、それなりに裕福でありました。
今日は、桜井和寿さんの実家と父と母、兄妹について書いてみたいと思います。
桜井和寿の家族構成。両親に姉・腹違いの兄
桜井和寿さんは1970年3月8日に東京都練馬区に長男として生まれました。

本名の苗字は「櫻井」で、「桜井」の漢字は音楽活動のみで使用してます。
家族構成は工務店を営む父と保育士の母と、2歳年上の姉の4人家族です。
実家の父は練馬区貫井にある「株式会社櫻井工務店」を経営し、ゆとりのある暮らしをしていました。
桜井和寿さんが小学校の卒業文集で「将来は大工になる」と書いていたのは、実家が工務店だった影響です。※バンド開始後も売れなかったら大工になるつもりだったようです
桜井和寿と若くして病死した腹違いの義兄。名曲「終わりなき旅」
両親は再婚同士で、父は前妻との間に1人の息子がおり、桜井和寿さんには腹違いの義兄が1人いました。
この義兄は若くして癌で亡くなってしまっています。
幼少期から義兄と仲良かった桜井和寿さんにとって死別は辛い出来事。
1999年に発表されたミスチルの名曲「終わりなき旅」は義兄への思いを込めて作った曲でした。
ある雑誌で義兄について「最高にかっこいい兄でした」と語っており、義兄への尊敬の気持ちはいつまでも消えてないようです。
奇しくも桜井和寿さんも初婚と再婚で腹違いの子供がいます。


今嫁との長男・海音さんは前妻との長女と良い関係を築いてるようで、これは桜井和寿さんが義兄との関係が良かったことも影響してると思われます。
山形出身の母・喜久恵の影響で幼少期から自然とふれあった
保育士をしてた母・喜久恵さんは山形県鶴岡出身の方でした。
桜井和寿さんは都内に生まれ育ちながらも、夏休みになると毎年のように山形の母の実家まで遊びに行っていたそう。
都会にはない山や海の自然に、当時の桜井さんは心を弾ませ、本人曰く「ここが自分自身を成長させてくれた」と語っています。
長男の名前が「海音」なのも、鶴岡の海の音を潜在的に意識したのかもしれません。

桜井和寿さんの音楽には都会的な洗練もあれば、どこか素朴で温かい部分もあり、この絶妙はバランスは幼少期の頃から育まれていたということです。
ちなみに鶴岡市湯野浜には桜井和寿さんの別荘(実際には別荘兼スタジオ)があり、地元では知らない人はいないぐらい有名です。
現在でも鶴岡市は桜井和寿さんの創作意欲に火をつける心の故郷になっているのです。
桜井和寿と家族の影響。姉がギターを貸し父が防音
桜井和寿さんは子供の頃、勉強が苦手でした。
しかし、父は勉強は「もっと勉強しなさい」と強制せず、「何か一つ自信を持てるようなものを身につけよう」という教えをしました。
子供の頃の桜井さんは空手と少年野球チームに所属、スポーツで自信を付ける道に進みました。
小学生の頃の桜井和寿さんは「音楽は女がするものだ」と思い込み、音楽の授業でも歌うことを頑なに拒否していたのだそう。※音楽の先生にビンタされても歌わなかった

中学生になると友達の兄が持っていたギターを見て憧れを抱き、それからは2歳上の姉が持っていたフォークギターを借りて練習を始めました。
最初はロックではなくフォークソングを弾き始め、特に「禁じられた遊び」を何度も練習していたそうです。
弟思いの姉は練習して弾く桜井さんに「天才!」と褒めちぎって励ましてくれたそう。
褒めてくれてた姉ですが、心の中では下手だと思っていたそう。
冷静に考えれば野球部の少年が部活終わりから就寝の合間に練習してるだけなので、下手で当たり前です。
姉が上手い具合に桜井和寿さんの気持ちを載せていなかったら飽きてギターを投げ出してた可能性もあり、姉がいなければ音楽をやってなかったかもしれませんね。
ギターの騒音を父が防音加工してアシスト
中学からギターを始めた桜井和寿さんですが、高校生になる頃には見事なまでに上達。
桜井和寿さんが短期間でギターを上達させることができたのは、父の存在がありました。
住んでいた練馬区は隣近所までの距離が近く、騒音クレームが懸念されますが、父が息子が気が済むまで練習できるように防音加工を施してくれたのです。
工務店を経営するプロである父親のナイスアシストもあり、桜井和寿さんは朝から深夜まで取り憑かれたようにギターを練習できたのです。
実家は「株式会社櫻井工務店」。父の他界後は代表者が代わる
桜井和寿さんの実家は、練馬区貫井にある「株式会社櫻井工務店」。

フォト像
ファンの間で有名で、かつては聖地巡りのように見学に来る方が多くいました。
4階建てのマンションの1階部分が櫻井工務店になっており、桜井和寿さんがブレイクした後も長く運営されていました。
2008年5月に桜井和寿さんの父は癌で60歳で死去。
その後、櫻井工務店の代表者の名前は別苗字の方に代わりました。

現在の代表者は父の元で働いてた方、肉親に近い方、経営譲渡、もしくは売却したと思われます。
桜井さんは小学校の卒業文集で「将来は大工になる」と書いており、ブレイク直前の「Atomic Heart」の頃までは売れなかったら実家を継いで大工になることを考えていました。
その夢の場所は父が亡くなった後も残り続けているのも、何か素敵ですね。
桜井和寿が父のために作った曲「花の匂い」
桜井和寿さんは義兄を癌で亡くしていますが、父親も同じく癌を患いました。
闘病生活を続け、2008年5月に60歳でこの世を去っています。※この時桜井和寿さんは38歳
父親が死去した同年2008年に「花の匂い」という歌を発表。

父親への気持ちを込めた楽曲でした。
また、国民的バンドでありながらも紅白に出場していなかったミスチルですが、2008年には「GIFT」で初出場。
実は父が紅白を観るのが好きだったということで、父を意識しての紅白出場決定だったと言われています。
母と姉は一緒に暮らす?実家近所に介護サービスを経営していた
桜井和寿さんの母は、現在までに介護サービスを営んだと言われています。

工務店のある近所に母と同姓同名の方が代表を務める介護のデイサービスがありました。
ある時の週刊誌にはお母さまはお姉さんと一緒に暮らしていると書かれており、未婚であれば現在も一緒に暮らしてるかもしれませんね。














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