
ALFEEのギタリストでリーダーの高見沢俊彦さん。
”派手で面白い人”というイメージを持っている人が多いと思いますが、実はよく見ると”ちゃんとイケメン”です。
若い頃の写真から追ってみると、その美しさの歴史に唖然とします。
見た目だけでなく、考え方や立ち位置も見事で、20代から70代までちゃんとしたロックスターを貫いた貴重な日本人であったのです。
今日は高見沢さんの若い頃の男前ぶりと、素敵な逸話を回想してみたいと思います。
高見沢俊彦は埼玉県蕨出身。親は学校の先生で子供の頃は8歳上の兄の影響を受けて育つ
高見沢俊彦さんは埼玉県蕨市出身です。
洗練された都会的な雰囲気を持っているので意外に感じるかもしれません。
過去に映画「翔んで埼玉」で千葉県と埼玉が張り合うシーンで、ライブ本数日本一のん英雄として旗を掲げられ、当時は「え、タカミーって埼玉なの?」と驚かれてました。
高見沢さんの家族は国語の先生をやっていた父親と、母親、そして8歳年上の兄貴の4人です。
高見沢家の次男として誕生し、幼少期から”ゴジラになりたい”と夢みるわんぱく少年でした。
上の兄とは8歳も歳が離れていたことから喧嘩は全然なく、むしろ家族全員からペットのように可愛がられて育ったそうです。
本名 | 高見沢俊彦(としひこ) |
出身地 | 埼玉県蕨市 |
生年月日 | 1954年4月17日 |
血液型 | A型 |
身長 | 174センチ |
出身小学校 | 蕨市立南小学校 |
出身中学 | 蕨市立第一中学校 |
出身高校 | 明治学院高等学校 |
出身大学 | 明治学院大学文学部英文学科中退 |
中学時代の高見沢はバスケ部のキャプテン。色白でスタイルが良くて女子からモテモテ!
高見沢さんは蕨市立第一中学校に進学するとバスケ部に入部しました。
1年の秋からレギュラーを獲得。
当時から色白で細身でスタイルが良く、しかも学業も優秀のパーフェクト男だったようです。
もちろん、女性からもモテモテで黄色い声援を受けていたそうですが、高見沢さんは女性に見向きもしなかったそうです。
バスケの実力は県の選抜メンバーに選ばれるほどに上手で、3年生になる頃にはキャプテンに就任しました。
最後の試合では自分のミスが原因で負けてしまい、相当に落ち込んでしまったそうです。
過去に中2年の頃の先生がテレビに出演し、当時の高見沢さんの落ち込みぶりに驚いたと回想していました。
高見沢は東京の御坊ちゃま高校に進学。学生時代からイケメンでギターが上手い!
地元の中学を卒業すると、高校は東京都港区白金にある明治学院高等学校に電車で1時間掛けて通いました。
今では身だしなみがしっかりしてる印象のある高見沢さんですが、当時は学生服の襟に歯磨き粉を付けたまま登校したり、ワイシャツが出てることが多かったりだらしなかったそう。
この頃から、当時フォークシンガーたちの影響で流行った長めのヘアスタイルをキメるようになりました。
高校ではギターに熱中し、当時からとても上手。
ただ、バンドの練習の時間に現れず、友達が電話をすると、まだ自宅にいるという太々しい一面もあったそうです。
また、当時から声の高い歌声が目立っており、中性的な印象があったそうです。
高校生の頃にレッドツェッペリンが初来日し、そのライブを鑑賞したことで「人生決まった」として、音楽で飯を食う夢を見始めました。
高見沢さんが通っていた高校は男子校ですが、高見沢さんは近所の女子高生の間でイケメンとして有名で、駅の改札には出待ちをしてる子が大勢いたそうです。
一緒に帰っていた同級生たちは高見沢さんの出待ちに対して気を遣っていましたが、当の本人は全く気にしていなかったそうで、モテてる自覚もなかったとか。
高見沢は大学でALFEEを結成。20歳前後でロングヘアーがトレードマーク
明治学院大学に進学すると、桜井賢さんと共にバンドを結成。
坂崎さんも加入して「ALFEE」が誕生しました。
この頃から後のロングヘアーの面影が出始めます。
当時はコピーばかりしており、高見沢さんは葛藤があったそうです。
オリジナル曲を作るようになり、ファンも増えていきますが、なかなか売れず。
大学を辞めても音楽だけで飯を食うのは難しく、とても苦労されたようです。
原宿の風呂なしの4畳半のアパートに住み、洗濯物は母親が持っていって洗って持ってきてくれるという生活でした。
20代の頃の高見沢は息を呑む美しさ!ブレイク後に派手になり髪も伸びていく
大学を中退してALFEEの活動に集中した高見沢さん。
20歳になった1974年に高見沢自身がリードボーカルを担当する「夏しぐれ」でデビュー。
この頃からは髪の毛は肩ぐらいまで伸ばし始めました。
しかし、当時の若くて右も左も分からなかったALFEEは、音楽性や信念を持たずに周囲に流されるままデビューしたことで活動が停滞。
長く下積み時代を送ることとなります。
売れない時代は研ナオコさんやかまやつひろしさんのバックバンドをするなどしていました。
この頃からエレガントなファッションセンスが定番化していきました。
当時は東京メトロ半蔵門線の工事現場でアルバイトをしていた時期もあったそうです。
25歳になった1979年、ALFEEは高見沢さん作詞作曲の「ラブレター」で再デビュー。
曲はヒットはしませんでしたが、現在のALFEEの形が形成され始めました。
28歳になった1982年にアルフィーはォーク路線から、高見沢さん主導でロックバンド路線へ転向。
そして高見沢さんがALFEEのリーダーとしてバンドが生まれ変わりました。
29歳になった1983年にはバンドで初めての武道館ライブを成功させ、「メリーアン」のヒット、紅白出場と、メジャーバンドの仲間入りを果たしました。
結果的に20代の全てを下積みに費やすこととなりましたが、その後に長く第一線で活躍したということで、ミュージシャンの中では圧倒的な勝ち組と言えるでしょう。
高見沢の色気の凄みは30代?渋いパーマから美しいストレートヘアーに変身!
29歳にしてようやくバンドとして全国区になったALFEE。
男前のリーダーの高見沢さんには女性ファンが多く付きました。
30歳になった1984年には代表曲「星空のディスタンス」をリリース。
この頃には京本政樹風のパーマをあてるなど、遊び心がありました。
31歳になった1985年には表情に貫禄が出始めました。
若さと大人の色気のバランスが素晴らしく、この頃を全盛期と見るファンも多いようです。
32歳になった1986年頃にはサングラス姿が増え、男らしい魅力も小出しにし始めました。
この頃の高見沢さんは90年代のV系に混じっても違和感がないほど美しさとハードさの調和が絶妙でした。
1988年の34歳になった頃からは落ち着いた雰囲気になり、ダンディーな魅力が発揮されました。
”タカミー=ずっと派手でイケイケ”と思っていた方はギャップを感じることでしょう。
30代の高見沢さんには渋い時期があったのです。
1991年の37歳になった頃から、現在のようなストレートのロングヘアーが主流となりました。
よく知らない人は宝塚だと勘違いしそうなほどに美しいです!
70年代にデビューした元フォークユニットの人とは思えないほどにイカしています!
高見沢は40代から現在までに30年以上も変わらない?
その後の高見沢さんは38歳になった1992年、39歳になった1993年と美しさがパワーアップしてきました。
これ以降から衣装もどんどんゴージャスになっていき、現在までの形を完成させます。
30代後半から現在までに、ほぼ変わらない姿をキープしてると思うと、やはりすごいです!
40代に突入した2000年代では、バラエディなどメディアに積極的に出演しキャラを開花させました。
高見沢さんのバラエディでの活躍は70歳を過ぎても続き、外見の良さ以上に内面の面白さやユニークさが再評価されました。
20代では下積みが長く足踏みしましたが、昭和、平成、令和で長く第一線で活躍し注目され続けた功績は本物です!