BEAT CRUSADERSの素顔まとめ。日高は現在も活躍!thai死去後に団結?

BEAT CRUSADERSといえば2000年代を中心に活躍し、”ビークル”の愛称で親しまれていたパンクバンドです。

当時は”エモい”という形容は主流ではありませんでしたが、今でいうエモロックに該当するバンドでした。

ビークルのトレードマークといえば、”自画像”のお面です。

活躍していた当時は”ビークルの素顔ってどんな感じなの?”と関心の的でした。

解散した現在になっては、それぞれ素顔を出していますが、個々まで追わずにフィードアウトした人たちのためにも、ビークルの素顔を一挙にまとめてみたいと思います。

まず、BEAT CRUSADERSとはどのぐらい売れていたバンドなのか?

当時のオリジナルメンバーと、元メンバーがどのような人だったのか?

そして、現在までに何をしているのか?ということについても整理してみます。

BEAT CRUSADERSの経歴。仕事しながら30代で覆面姿でヒット!

BEAT CRUSADERSは1994年にギターボーカルを務める日高央(とおる)さんによって結成されました。

1999年にインディーズデビューが決まるまでに身バレ防止のために各メンバーが自分の自画像のイラストを覆面をするようになりました。

2004年にメジャーデビューを果たすと人気漫画「BECK」の主題歌に「HIT IN THE USA」が起用され早々に大ヒット。

活動休止する2010年までに3大ロックフェスであるサマソニ、フジロック、ロッキンに出演。

主要音楽番組のMステ、HEY!HEY!HEY!、ポップジャムらに出演。

そしてオールナイトニッポンのパーソナリティやCM出演(マツモトキヨシ)をするなど正真正銘の売れっ子とバンドでありました。

現在では”GReeeeN”や”MAN WITH A MISSION”など素顔を隠しながらも売れてるバンドはいますが、BEAT CRUSADERSは”売れっ子覆面バンドの先駆け”でした。

また、インディーズで動き出した頃にはメンバー全員がアラサーで生業と掛け持ちで活動しており、”仕事しながら売れる”という貴重な成功モデルともなっています。

BEAT CRUSADERSの活動年表

1994年 日高央を中心にメンバー召集
1998年 イギリス発売のコンピレーション・アルバム『For My Urban Life (Tokyo '98)』の収録曲 「Attention Please」「Memento」で音源デビュー
1999年 インディーズ初アルバム「NEVER POP ENOUGH e.p.」をリリースしお面を付け始める
2001年6月20日〜7月1日 アメリカ西海岸ツアー決行
2002年4月19日〜4月27日 オーストラリアツアー決行
2003年8月 日高以外のメンバーが脱退
2004年6月 DefSTAR RECORDSとメジャー契約
2004年7月22日 ミニアルバム『A PopCALYPSE NOW 〜地獄のPOP示録〜』でメジャーデビュー
2004年10月20日 メジャー初シングル「HIT IN THE USA」がアニメ「BECK」の主題歌に起用され大ヒット
2005年4月 日高によるSPACE SHOWER TVで毎週木曜18時~19時にレギュラー放送『STUDIO GROWN』を開始
2005年5月11日 メジャー1stフルアルバム『P.O.A.〜POP ON ARRIVAL〜』発売
2006年4月4日 TONIGHT,TONIGHT,TONIGHT」がアニメ『BLEACH』OP主題歌に起用
2006年4月8日 日高によるJ-WAVEで毎週金曜27時~29時にレギュラー放送開始
2007年1月1日 日高によるニッポン放送オールナイトニッポンがスタート
2008年 3本のツアーとアコースティックライブを決行
2009年2月18日 ベストアルバム発売
2009年7月2日 高橋瞳×BEAT CRUSADERSの楽曲「ウォーアイニー」がアニメ『銀魂』エンディングテーマに起用
2010年9月4日 「OTODAMA'10~音泉魂~」をもって解散

BEAT CRUSADERSのメンバーの素顔と現在

2010年に解散したBEAT CRUSADERSですが、解散後は各々で顔出しをして活動をしています。

メンバーの名前と担当楽器、現在の活動について整理しておきます。

名前(担当) 在籍時期 現在
ヒダカトオル(ギターボーカル) 1997年〜2010年 プロデューサー。THE STARBEMSを結成。ソロユニットGALLOWとしても活動。
クボタマサヒコ(ベースボーカル) 2003年〜2010年 DJ活動。「kuh」のギター・ボーカル。カトウとマシータと共に「TOQUIO LEQUIO TEQUNOS」結成
カトウタロウ(ギターボーカル) 2003年〜2010年 フリーのギタリスト。ト『永友タロウ』「TOQUIO LEQUIO TEQUNOS」のギター。
マシータ(ドラムボーカル) 2003年〜2010年 フリーのドラマー。「TOQUIO LEQUIO TEQUNOS」のドラム。
ケイタイモ(キーボートボーカル) 2003年〜2010年 WUJA BIN BIN」結成。「JOHNSON MOTORCAR」、「ATOM ON SPHERE」のベース、GOING UNDER GROUNDのサポート。

結成から解散まで唯一在籍していたギターボーカルの日髙央さんは現在でもプロデューサー業を始め、バンドやソロでもバリバリ活躍されており、”さすが!”と言った感じです。

BEAT CRUSADERSメンバーの素顔

ヒダカトオル(ギターボーカル)

芸名 ヒダカトオル
本名 日高央(とおる)
出身 千葉県船橋市高根台出身
生年月日 1968年6月5日
血液型 B型
出身大学 明海大学

クボタマサヒコ(ベースボーカル)

芸名 クボタマサヒコ
本名 久保田匡彦(くぼたまさひこ)
出身 神奈川県葉山
生年月日 1973年9月23日

カトウタロウ(ギターボーカル)

芸名 カトウタロウ
本名 加藤太郎(かとうたろう)
出身 千葉県習志野
生年月日 1975年12月12日

マシータ(ドラムボーカル)

芸名 マシータ
本名 山下博史(やましたひろふみ)
出身 山口県下関市
生年月日 1972年7月25日
出身大学 中京大学

ケイタイモ(キーボード)

芸名 ケイタイモ
本名 田辺啓太(たなべけいた)
出身 静岡県
生年月日 1973年1月22日

著名な元メンバー。thaiは2011年に死去。umuとarakiは元気!

昔のBEAT CRUSADERSの話になると、「そういえば亡くなったメンバーがいたよね?」と話題に上がることがあります。

亡くなったメンバーはキーボードの”thai”で、確かにBEAT CRUSADERSに在籍していましたが、バンドがメジャーデビューして売れるまでに脱退しています。

1998年にBEAT CRUSADERSに加入し、メジャーに行く前の2003年に脱退しています。

芸名 thai
本名 田井宏之(たいひろゆき)
出身 千葉県
生年月日 1977年
没日 2011年11月26日(44歳)

thaiさんはBEAT CRUSADERS脱退後は普通に就業を勤めていたようです。

たまにライブで「ISOTONIC」が演奏される際に、元CAPTAIN HEDGE HOGのメンバーともに特別ゲストとして出演していたようで、音楽活動自体は続けていたようです。

「glimmer (旧名:SOFTWARE)」でも不定期に活動していたそうです。

2011年11月26日に心筋梗塞のため34歳で亡くなり、当時はBEAT CRUSADERSが解散して年数が浅かったためにニュースとして取り上げられました。

皮肉にも脱退後に話題となり著名な元メンバーとなりました

元メンバーのumuとarakiは仕事をしながら音楽を続ける。毎年thaiの追悼イベント

2003年にキーボードのthaiさんと一緒に脱退したのがベースのumuさんとドラムのarakiさんです。

umuさんとarakiさんは脱退後も普通の仕事をしながら音楽活動を続けています。

umu(ベース)

芸名 umu
本名 産屋敷光孝/うむやしきみつたか
出身 三重県桑名市出身
生年月日 1975年6月11日

araki(ドラム)

芸名 araki
本名 荒木隆之/あらきたかゆき
出身 広島県広島市
生年月日 1976年1月14日
学歴 崇徳中学、崇徳高校卒

2011年にthaiさんが亡くなって以降、毎年のようにarakiさんとumuさんを中心に追悼ライブを行なっているようです。

ゲストに日髙さんが登場する年もあるなど、インディーズ時代のBEAT CRUSADERSメンバーが勢揃いしてのライブもあるようです。

イベントにはインディーズ時代のBEAT CRUSADERSメンバーの素顔の写真が飾られるなど、ファンからはエモすぎる!と好評です。

BEAT CRUSADERSがインディーズで動き出した時期、メンバーらはすでにアラサーで社会人。

仕事の傍らに頑張って行なった音楽活動が、おじさんになった後に良いボーナスとして付いてきてる感じが素敵ですね!

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