Hysteric Blue・ナオキの経歴。淀川工科高校出身。紅白後に売れず自殺未遂

90年代後半
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90年代後半から00年代前半まで活動していたポップバンド・Hysteric Blue。

Hysteric Blueでリーダーを務めたのがギター・ナオキさんでした。

今日は、ナオキさんの学生時代や、バンド結成当初のことなどについて書いてみたいと思います。

Hysteric Blue・ナオキの経歴。オモチャでギターを作る子供。男子ばかりの淀川工科高校卒業後

ヒステリック・ブルーのナオキさんは1979年5月29日に大阪で生まれました。

ナオキ 1979年5月29日
Tama 1980年10月28日
たくや 1980年4月12日

バンドの中でのナオキさんは、ボーカルのTamaさんと”たくや”さんの2人よりも1歳年上の最年長で、リーダーでした。

ナオキさんが幼少期にどんな子供だったのか詳細は不明ですが、ラジオでイジメられていた過去を告白しており、少年時代から個性的な子供だったことが伺えます。

大阪の上新庄出身で、高校は大阪府立淀川(よどがわ)工科高等学校出身です。

工業高校出身ということで、学生時代は男子に囲まれて青春を送っていたようです。

芸名 ナオキ
本名 二階堂直樹(旧姓:赤松)
偽名 蒼井
生年月日 1979年5月29日
血液型 A型
出身地 大阪府上新庄
出身高校 大阪府淀川工科高等学校

親にクリスマスプレゼントにギターを買ってもらう。弾けた曲は「春を愛する人」

ナオキさんがいつ頃からロックミュージックやギターに憧れたかは定かではないですが、1999年5月に出演した「LOVE LOVE愛してる」では、ギター購入当初の話をしていました。

ナオキさんはギターがどうしても欲しくて、クリスマスプレゼントに親にギターをおねだり。

クリスマスに親にギターを買ってもらうことを約束してもらいましたが、当時のナオキさんはクリスマスまで待てませんでした。

そこで、ナオキさんはボックスティッシュにサランラップの芯を潰して合体させ、輪ゴム6本を弦のように張ってギターに見立てて遊んでいたのです。

お手製のギターもどきで基本コードの指の形覚え、クリスマスにギターを買ってもらった頃には、早々にギターが弾けてしまったそうです。

このエピソードだけを聞いても、ナオキさんの天才肌さが伺えますね!

ちなみに初めて覚えた曲は「春を愛する人」だそうです。

ナオキは淀川工科高校卒業後に路上ライブをしていたTamaと”たくや”を勧誘しヒスブルを結成

ナオキさんがヒステリックブルーを結成したのは、淀川工科高校を卒業した直後の1997年7月ことでした。

当時、ドラムのたくやさんとヴォーカルのTamaさんは、高校生で別の人とバンドを組んでいました。

高3の頃、Tamaさんと”たくや”さんのバンドが路上ライブの聖地・城天でパフォーマンスをしてると、そこでたまたまナオキさんと遭遇。

当時のナオキさんは前のバンドがちょうど解散したばかりで、新しいメンバー探してる最中でした。

才能溢れる二人のライヴ見て、思わず声を掛け、その後に一緒にヒステリック・ブルーの名のバンドを組むことになったのです。

結成して僅か1年後にメジャーデビュー。プロデューサーはジュディマリと同じ佐久間氏

結成当時はナオキさんのみ高校を卒業しており、Tamaさんと”たくや”さんはまだ高校生でした。

デモテープを作り業界関係者などに送り、その結果、後にジュディマリを手掛けた音楽プロデューサーとなる佐久間正英の目に止まり、見出されました。

佐久間さん曰く、デモテープの時点からナオキさんのギターアレンジは完成されており、とてもセンスが良かったそうです。

Tamaさんと”たくや”さんが高校を卒業した2ヶ月後の1998年6月、Sony Recordsと契約することとなりました。

契約した同年1998年の10月31日にシングル「RUSH!」でメジャー・デビューを果たしました。

デビュー当時から雰囲気や路線がジュディマリに似てる、パクリ疑惑が出たこともありました。

特にナオキさんの髪型やメガネなど、露骨に意識していたようにも見えました。

過去にジュディマリのタクヤさんが音楽番組に出演した際には、不機嫌そうなタクヤさんが「誰にむかついてるの?」と質問され「ヒスブルかな」と答えると一幕がありました。

ジュディマリ側もヒスブルの存在を意識していたことが伺えます。

ただ、会社もプロデューサーも同じだったということで、彼らに売れて欲しい一心でわざと名前を出していたように見えます。

ナオキはヒステリック・ブルーの中で浮いていた?売れ行きに葛藤し自殺未遂、逮捕、解散の末路

ヒステリックブルーは1999年に2ndシングル「春〜spring〜」でブレイク

4月1日には初のアルバム「baby Blue」を発売し、4thシングル「なぜ…」もドラマ主題歌に使われヒット。

1999年の『第50回NHK紅白歌合戦』に出場し、「春〜spring〜」を披露、バンドは知名度を上げました。

1999年以降、HEY!HEY!HEY!など地上波の音楽番組に多く登場し、国民的バンドの仲間入りを果たしたと思われましたが、その後に売り上げは低迷

2000年以降から2003年の活動休止までにシングル9作をリリースしましたが、1曲もオリコン10位以内にすら入りませんでした。

バンド内でナオキさんは1人だけ浮いており、ファンの間では不仲説も出ていました。

2001年10月上旬には、ナオキさんが自宅で手首を切りガスを充満させるなど自殺未遂騒動があったり、情趣不安定になっていたことがわかります。

2003年に”個性が出てきた”と活動休止。2004年に結婚するも性犯罪で逮捕されヒスブル解散

売り上げが低迷し、ナオキさんの自殺未遂騒動があった翌年2003年6月17日のライブ内で、ヒステリック・ブルーは活動休止することを発表

活動休止する理由を、たくやさんは、

「デビューからこの4、5年の間にいろんなものを吸収したけど、だんだん個性が出てきた。一旦休んで各自やりたいことをやって、また集まろうとなった」

と説明していました。

2003年9月23日のバンドの地元・大阪でのライブを最後に活動休止となりました。

活動休止後のナオキさんは結婚し、嫁さんは第一子の子供を妊娠していました。

しかし、2003年から2004年の間に10件を超える性犯罪を起こし、2004年に逮捕となりました。

ナオキさんの逮捕後、ヒステリックブルーは即解散を決断しました。

逮捕後のナオキさんについては別記事で詳細を書いています。

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