
生涯独身を貫いた歌手で女優の”いしだあゆみ”さん。
過去に1度だけで結婚したとがあり、相手は昭和の男性の憧れ”しょーけん”ごと萩原健一さんでした。
いしだあゆみさんの唯一の結婚相手である萩原健一さんですが、出会いから別れまで様々なスキャンダルがありました。
不倫、略奪婚、薬物逮捕、涙の会見、2度目の逮捕、離婚など。
今日はいしだあゆみさんと萩原健一さんの馴れ初めと、熱愛、結婚、離婚、そしてお互いに死去するまでの出来事を時系列で紹介したいと思います。
いしだあゆみと元夫・萩原健一の出会い〜結婚〜離婚とその後の年表
1975年4月 | 萩原健一とモデル・小泉一十三が結婚 |
1975年9月 | 萩原圭一と小泉の間に第一子の長女・羽衣子(ういこ)が誕生 |
1977年10月 | ドラマ「祭ばやしが聞こえる」で"いしだあゆみ”と萩原健一が共演 |
1978年3月 | いしだあゆみと萩原健一の熱愛報道(※不倫) |
1978年3月 | 熱愛報道の9日後に萩原健一とモデル・小泉一十三が離婚 |
1980年5月27日 | いしだあゆみと萩原健一が婚約(※略奪婚) |
1983年4月20日 | 萩原健一が大麻所持で逮捕 |
1984年2月 | 萩原健一が飲酒運転で人身事故。業務上過失傷害罪で逮捕。 |
1984年 | 萩原健一といしだあゆみが離婚 |
1985年11月 | 萩原健一が倍賞美津子との2ショット写真を週刊誌に撮られカメラマンに暴行 |
1996年 | 萩原健一がヘアメイク・アーティストの由紀と3度目の結婚 |
2006年 | 由紀と離婚 |
2011年2月7日 | モデルの冨田リカと4度目の結婚 |
2019年3月26日 | 萩原健一が68歳で死去 |
2025年3月11日 | いしだあゆみが76歳で死去 |
いしだあゆみと萩原健一の馴れ初め。ドラマで共演し不倫関係になり略奪婚
いしだあゆみさんと萩原健一さんの馴れ初めは、1977年10月7日〜1979年3月31日に日本テレビで放送されたドラマ「祭りばやしが聞こえる」での共演でした。
当時の萩原健一さんは27歳で、いしだあゆみさんは29歳。
2人が出会った頃、萩原さんはすでに妻子持ちの身でした。
萩原健一さんはいしだあゆみさん出会う2年前の1975年4月に、「太陽にほえろ」で共演したモデルの小泉一十三(ひとみ)さんと結婚。
名前 | 小泉 一十三(ひとみ) |
生年月日 | 1949年 |
出身地 | 兵庫県 |
結婚した同年の9月には第一子の娘「羽衣子(ういこ)」さんが誕生していました。
妻子がいた萩原健一さんですが、いしだあゆみさんと共演してすぐに不倫関係になります。
そして、共演してるドラマが最終話を迎える1978年3月31日より前に不倫報道が出てしまいます。
当時、いしだあゆみさんの両親は既婚者である萩原健一さんとの交際に反対しましたが、反対を押し通して交際を続けました。
略奪婚ではなかった?いしだあゆみと出会うまでに離婚協議が進んでいた
不倫報道が出た9日後に、萩原さんは前妻の小泉さんと離婚。
当時、”いしだあゆみさんが略奪婚をした!”とバッシングを浴びました。
しかし、実は萩原さんといしだあゆみさんが出会った頃には、すでに小泉さんとの結婚生活は壊滅状態でした。
不倫報道が出る前から離婚に向けて話し合いが行われていたのです。
萩原さんは結婚生活が破綻しインドネシア・バリ島に逃避していたところ、いしださんから「いつまでそちらにいるの?」と電話がかかってきて大急ぎで帰国。
空港からいしださんの家に直行し、そのまま同居生活が始まったという流れがあったのです。
実際、熱愛報道が出てからは小泉一十三さんとは揉めることなくスムーズに離婚することができており、厳密には略奪婚ではなかったということです。
結婚後に萩原健一が薬物所持や飲酒運転で逮捕。離婚会見でいしだあゆみは自分を責める
萩原健一さんといしだあゆみさんは、結婚発表後に会見を開き、お惚気全開でした。
結婚直後、いしだあゆみさんは芸能活動の休止を宣言。
当初は引退を考えていたようですが、旦那から「引退という言葉は使わないほうがいい」とアドバイスされ、そのとおり休業という形を取りました。
実際にいしだあゆみさんが休業していたのはほんの一瞬で、すぐに芸能活動に復帰。
お互いに仕事に忙しい毎日を過ごしていましたが、ショーケンさんのコンサートにいしだあゆみさんが駆けつけたり、公でも夫婦仲の良さが伺えました。
しかし、結婚3年目の1983年の4月に、萩原健一さんは薬物所持で逮捕されてしまいます。
警察が家宅捜査に入った際、居間のテーブルにむき出しのままのブツが置かれていたそうです。
映画『影武者』の共演者が大麻所持で逮捕され、共演者の供述から萩原健一さんが彼に勧めたという事実が明らかになっての逮捕でした。
萩原さんが警察に手錠で繋がれ、連れて行かれる際には、いしだあゆみさんは泣き叫んだそうです。
逮捕後、萩原さんは懲役1年執行猶予3年の判決、離婚するかと思われましたが、いしだあゆみさんは、
「他人さまからどんなにバカな男と言われても彼は私の夫です。見捨てることはできません」
と、これからも離婚せずに萩原さんを支えることを宣言。
しかし、そのわずか10ヶ月後の1984年2月に今度は飲酒運転でバイクに乗り人身事故。
ショーケンさんは「交通法違反」及び「業務上過失致傷罪」で再逮捕されます。
2度目の逮捕の後は、流石に「呆れた」として、愛想を尽かしてしまったようです。
いしだあゆみの離婚会見。ショーケンのことを責めずに最後まで献身的な姿勢
離婚が決まった後の会見では、いしだあゆみさんは1人で望みました。
そこでは、
「専業主婦ではないので家庭をおろそかにして主婦失格です。」
「理想の夫でした。どんなに馬鹿男と言われても私の夫、見捨てることはしません」
「自分勝手な気苦労ばかりが重なって、どうしようもない私に愛想が尽きました」
と、萩原健一さんのことは一切責めずに、普通の主婦として支えてあげれなかった自分を責めるような発言を続けました。
二人で書いた離婚届は、いしださんが持ち続け、なかなか区役所に提出できなかったそう。
ただ、ショーケンさんの証言では、俳優の山崎努さん立ち会いの下、離婚届にサインしたそうですが、実は婚姻届すら出されていなかったことが後に判明していたとのこと。
実は事実婚だったというオチは、当時の人でも知らない人が多いそう。
破局の本当の理由は萩原健一の藤真利子との不倫?
1984年に離婚してしまったいしだあゆみさんと萩原健一さん。
離婚の理由は萩原さんの2度の逮捕であったのが一般的な認識です。
しかし、当時は萩原さんの逮捕劇の他にも、離婚を決断する理由があったと言われています。
それは、萩原さんと女優・藤真利子(ふじまりこ)さんの不倫です。
名前 | 藤真利子(ふじまりこ) |
生年月日 | 1955年6月18日 |
出身地 | 東京都 |
血液型 | A型 |
著名な家族 | 藤原審爾 |
出身高校 | 不二聖心女子学院高等学校 |
出身大学 | 聖心女子大学文学部歴史社会学科 |
不倫相手だと噂されていた藤真利子さんは、人気作家の藤原審爾さんを父に持つお嬢様です。
1983年に共演した映画「もどり川」をきっかけに不倫関係になったとの説です。
しかし、この説に関しては根拠がなく、あくまでただの噂で終わりました。
いしだあゆみは離婚後は生涯独身。ショーケンは結婚と離婚を繰り返す
いしだあゆみさんは1984年にショーケンさんと離婚。
その後に再婚はせず、ホテル暮らしをしながら女優業を全うし、幾度も日本アカデミー賞で大賞を受賞し、日本を代表する女優となりました。
かつてはショーケンが逮捕された後でも「もう一度惚れ直させて欲しい」と語るほどに献身的だったいしだあゆみさん。
ずっと独身を貫いたのは、結局はショーケンさんを超える男を見つけられなかったからではないか?と言われています。
いしだあゆみさんはショーケンさんとの結婚生活については、
「よかったですね。すごく愛されましたから。愛されたということはこっちも愛していたということですしね。私から見れば理想の夫婦でした」
「寂しくていいと思うんです。この仕事をしているんだから。人恋しい。だから人と会って仕事している時がうれしいし」
とコメントしており、あれだけのことがあって離婚したにも関わらず、「理想の夫婦だった」と回想し、ショーケンのことを1つも悪く言いませんでした。
その一方で、ショーケンさんの方は離婚直後からすぐに別の女性と週刊誌に撮られるなどプレイボーイぶりは変わらず。
結果的に、いしだあゆみさん以降にも2度の結婚を経験しました。
ショーケンはいしだあゆみと離婚後も2度も結婚。ヘアメイクの由紀とモデルの冨田リカ
ショーケンさんはいしだあゆみさんと離婚した後も、多くの女性と関係を持ちました。
1996年にはヘアメイクアーティストの由紀さんと結婚するも、10年後の2006年に離婚。
2004年10月には交通事故を起こし業務上過失致傷罪で現行犯逮捕されました。
また、関係者への問題発言や暴行が理由で降板となった主演映画『透光の樹』の前払いの出演料半額分(750万円)を巡って揉め、国税庁・警視庁・実在する暴力団の名を挙げて「必ずやっつけますから」と脅迫し出演料全額分(1500万円)の支払いを要求。
制作側から恐喝未遂容疑で告訴され、2005年の2月に再び逮捕されるなど、変わらぬ暴れっぷりでした。
2011年に元モデルの冨田リカさんと4度目の結婚をし、2019年に亡くなるまで生涯寄り添いました。
冨田さんと結婚した後は警察沙汰になることはありませんでしたが、亡くなる最後まで危ない雰囲気が抜けない彼らしい魅力を持ち続けました。
時期 | 相手 |
1974年〜1978年 | 小泉一ニ三 |
1980年〜1984年 | いしだあゆみ |
1996年〜2006年 | 一般人(ヘアメイクアーティスト) |
2011年3月〜 | 冨田リカ |
萩原健一さんが2019年3月に69歳で死去。
いしだあゆみさんは訃報に接し所属事務所を通じて、
「ご冥福をお祈り致します」
と追悼しています。