松田聖子さんといえば元祖・恋多き歌姫です。
これまでに数々の有名芸能人を始め、多種多様なジャンルの男性と交際、結婚をしてきました。
1985年の初婚の神田正輝さんに始まり、1998年と2012年に歯科医するなど、歴代で3人も旦那を持ちました。
また、誰と結婚してる時であっても必ず不倫報道が出るなど、芸能界のスキャンダル王でもあります。
今日は、松田聖子さんの歴代の結婚と旦那、不倫報道などについて整理してみたいと思います。
松田聖子の歴代の夫と不倫の歴史一覧
松田聖子さんの歴代の旦那さんは1985年〜1997年の神田正輝さん、1998年〜2000年の歯科医の波多野浩之さん、2012年からの慶應義塾大学推教授で歯科医の河奈裕正さんの3名です。
不倫報道が出たのは1989年の近藤真彦さんや真田広之さん、1990年のジェフ・ニコルスさん、1993年のアラン・リードさん、2000年の原田真二さん、2014年の元マネージャー河田さんの5人です。
1985年2月 | 神田正輝と熱愛報道※前年末にまで郷ひろみと交際 |
1985年4月 | 神田正輝と結婚 |
1986年10月1日 | 神田正輝との間に第一子の娘を出産。(神田沙也加) |
1989年 | 近藤真彦や真田広之とニューヨークで密会(不倫?) |
1990年 | 松田聖子がジェフ・ニコルスと不倫 |
1993年 | バッグダンサーのアラン・リードと不倫 |
1994年3月 | 前不倫相手のジェフが松田聖子との関係を綴った「真実の愛」出版 |
1995年8月 | 前不倫相手のジェフ2冊の暴露本「壊れた愛」を出版 |
1997年1月 | 神田正輝と離婚 |
1997年12月 | 元不倫相手のアラン・リードが逆セクハラで松田聖子を訴訟する記事が出る。※証拠不十分で罪に問われず |
1998年5月 | 2回目の結婚。相手は歯科医の波多野浩之さん。 |
2000年 | 原田真二とW不倫報道 |
2000年12月 | 波多野浩之さんと2回目の離婚。 |
2012年6月 | 3回目の結婚。相手は歯科医の河奈裕正さん。 |
2014年春 | 元マネージャー河田将道氏との不倫疑惑 |
神田正輝との結婚は即破綻。マッチとの密会、ジェフ・ニコルスやアラン・リードと不倫。
1985年に郷ひろみさんと破局すると、「生まれ変わったら一緒になろうね」との名言が有名になりました。
しかし、郷ひろみさんと別れた3カ月後、神田正輝との結婚を発表。
馴れ初めは共演した作品の海外ロケで、体調を崩した松田聖子さんを、神田正輝さんが献身的に看病したことでした。
2億円の豪華挙式は当時はとても話題になりました。
結婚した翌年の1996年には第一子の長女・娘の沙也加さんを出産。
当初は「この人なら一生ついていけると思いました。私が仕事をすることにも理解を持ってくれていますが、当分は、主婦業に専念したい」と発言してましたが、産後にすぐに仕事復帰。
子供が生まれた最初の頃は、一緒に旅行してる姿が目撃されたり、普通の芸能人夫婦に見えました。
しかし、1989年にはアイドル時代からの友人である近藤真彦さんとニューヨークでの密会がスクープされました。
近藤真彦さんの他にも俳優の真田広之さんともNYと密会していたとの報道もありました。
この頃の松田聖子さんは国内での人気に限界を感じ始め、アメリカ進出に向けて動き出し、何かとニューヨークに行き来することが増えました。
90年代に入るまでには結婚生活は破綻し、周囲に神田さんとの結婚は間違いだったと漏らすようになったそうです。
その後はアメリカ現地の男性と不倫関係が取り沙汰されるようになりました。
2冊の暴露本を出した俳優で英語の講師のジェフ・ニコルス
1989年に近藤真彦さんとの密会が報じられた1年後には、アメリカ現地で松田聖子さんの英語の先生を務めてくれたジェフ・ニコルスさんとの不倫が報じられました。
コンサートの合間などに英会話の個人レッスンを受けていたことから急接近し、不倫関係となったのです。
松田聖子さんと1歳年上のアメリカ人俳優・ジェフ・ニコルスさんの恋仲は連日ワイドショーを賑わせました。
日本に夫と子供がいながらの、ニューヨークでジェフさんとの2重生活。
そんなジェフさんとは1993年頃には不倫関係を解消。
破局後に不倫相手だったジェフさんは松田聖子さんとの関係を綴った本を2冊出版。
破局後にジェフさんが書いた、1994年の「真実の愛」、1995年の「壊れた愛」は日本で大ヒット。
暴露本の中には、
- ニューヨークに2人で住む自宅を買っていた
- 婚約指輪のような指輪を買っていた
- ジェフ・ニコルスの両親にも挨拶していた
- デートに娘の沙也加を呼んでいた
- 娘の沙也加にジェフをパパと呼ぶように言っていた
↑などなど、衝撃の事実が書かれていました。
それでも本全体で、ジェフさんは松田聖子さんのことを憎んでるような印象はなく、むしろ誠実であり、2人が純粋に愛し合っていたことが分かります。
バッグダンサーのアラン・リードとの不倫。破局後に逆セクハラで訴訟
松田聖子さんはジェフさんと別れてすぐに、自身のバッグダンサーを務めていたアラン・リードさんとの不倫が取り沙汰されます。
路線を変更した松田聖子さんは、ステージ上でアランさんと濃厚な絡みが多くありました。
アラン・リードは松田聖子さんプロデュースで楽曲を出したことがあるなど、仕事を通じて縁の深い男性でした。
アランさんは松田聖子さんの事務所と専属契約していましたが、解雇となると松田聖子さんとの関係を暴露し始めます。
アランの言う暴露というのが、部屋に呼ばれて行くと、透けた赤い下着姿にワインを飲む聖子さんがいて、「良い体ね」と言って抱きつき、そのままベッドに行くという、日本人女性がやるとは思えない怪しい内容も多くありました。
1997年には聖子さんから「セクハラを受けた」「私生活も従わないとステージに出さないと言われた」との内容で、4800万円の損害賠償訴訟を起こされています。※アランは証拠不十分で敗訴
神田正輝と離婚。実は旦那が先に浮気をしていた?
1997年に遂に神田正輝さんと松田聖子さんは離婚を発表。
世間では松田聖子さんの数々の不倫が取り沙汰される中、神田正輝さんは怒らずにずっと耐えていました。
不倫騒動が活発な頃はメディアから「男は黙って神田正輝」という言葉が出るほどに、聖子さんとの婚姻中の神田さんの辛抱強さは話題になっていました。
ただ、実は神田正輝さんにも結婚当初から不倫報道のような記事が何度か出ていました。
松田聖子さんがヤケになったのは、神田さんが先に不倫したことが理由だったのでは?との声もあります。
松田聖子さんは離婚会見で、
「私が女性、妻として正輝さんに、きちんとしてあげられなかった。至らなかった」
と、反省の意のあるコメントを残していました。
離婚後、当時10歳だった沙也加さんの親権は松田聖子さんが持ちましたが、学業の途中で娘の姓が変わることが可哀想だとし、神田姓で新たな戸籍を作った為、離婚後も母子共に神田姓を名乗ることとなっています。
別の白人ダンサーとの“二股不倫疑惑”が持ち上がり、彼とも長くは続かなかった。
歯科医の波多野浩之と2度目のビビビ婚も原田真二と不倫で離婚
松田聖子さんは1998年5月に6歳年下の歯科医・波多野浩之さんと2度目の結婚。
2人の馴れ初めは娘・沙也加を波多野さんが勤めていた東京都世田谷区にある「はしば歯科」に行った際のこと。
松田聖子さんの方から波多野浩之さんに一目惚れし、その後は娘の歯の治療中にずっと立ち会い、やがて娘公認の元で交際に発展。
1998年4月に交際を始めて、交際して1ヶ月後の1998年5月に結婚しました。
結婚発表の際に聖子さんが、
「会った瞬間、ビビビときた」
と発言したことから“ビビビ婚”の流行語が誕生しました。
しかし、結婚から僅か2年後の2000年に離婚
離婚の理由は表向きは”私生活のすれ違い”とのことでしたが、実際は松田聖子さんのミュージシャン・原田真二さんとの不倫なども関係してるとされています。
松田聖子と原田真二の12泊のお泊まり不倫
松田聖子さんの当時の夫・波多野浩之さんは結婚してすぐに歯科の知識を深めるためにアメリカ・ロサンゼルスにあるカリフォルニア大学ロサンゼルス校(通称:UCLA)に留学。
波多野浩之さんは帰国後に自分の院を開業させたいという夢があり、それに向けての留学でした。
旦那がアメリカに留学してる間、松田聖子さんにミュージシャン・原田真二さんとの不倫報道が出てしまったのです。
原田真二さんは松田聖子さんにとっては憧れのミュージシャンで、原田さんが聖子さんの楽曲の作品に関わるようになってから急接近したそう。
なんとも、松田聖子さんは原田真二さんと高級ホテルのスイートルームに16泊もしていたとのことで、旦那の留守の合間にかなり大胆な不倫をしていたようです。※原田真二氏は不倫を否定
ただ、波多野さんとは離婚後も一緒にいる姿が目撃されていたり、一時期は復縁説まで浮上。
復縁説が言われていたのは2002年頃で、その頃は松田聖子さんがロスに事務所を構えた時期で、波多野さんもアメリカでの仕事もされており、その縁で現地で合流したとの見方があります。
2009年頃にも復縁を匂わす報道が出るなどしており、波多野さんとは離婚後も長く親交関係があったことが伺えます。
大物歯科医の河奈裕正と3度目の結婚は略奪だった?元マネージャー河田将道との不倫説
松田聖子さんは2000年に2人目の旦那と離婚した後、長く独身を貫きました。
2000年代前半は、色恋沙汰の報道がほとんどなく、それは娘の沙也加さんも芸能界デビューし、娘を自身のツアーに同行させるなどしていた影響もあったとされます。
2005年の5年ぶりの色恋報道では、聖子さんの整体師でありマネージャーにもなった11歳年下の河田将道氏と同棲交際されますが、その方とは再婚にならず。
2012年6月に14年ぶりに結婚。
慶應義塾大学医学部出身の歯科医師で、過去には同大学の准教授というポジションにいた河奈裕正(かわなひろまさ)さんと3度目の結婚。
河奈さんの先祖は信州松本藩主の有望な武士で、代々続く資産家の長男という側面もあり、歴代の旦那さんの中では最もエリートだと思われます。
2人の出会いはフジテレビ局内の歯科診療所で、聖子さんが 番組収録中に歯の痛みを訴え、歯科医に訪れた際に担当したのが河奈裕正さんだったのです。
聖子さんから河奈さんに猛アプローチ、既婚者だった河奈さんは奥さんに別れを告げた後に聖子さんの近所に引っ越し、交際が始まったとされます。
河奈裕正さんは90年代前半に静岡県の病院で出会った8歳年下の看護師と交際し、ドイツ〜日本の遠距離恋愛を乗り越えて1995年結婚、双子の子供も生まれていました。
この聖子さんと河奈さんの交際時期に関しては、河名さんと前妻との婚姻の時期と被ってるのでは?とのことで、一部では”略奪婚”とも言われていました。
河奈さんが前妻に離婚を申し立てたのは2010年5月とのことで、聖子さんの関係がそれより前であれば完全に略奪不倫であります。
2014年に元彼のマネージャー・河田将道と怪しい関係
2012年の2年後の2014年には2005年に同棲交際が報じられたマネージャー兼フォトグラファー・河田将道さんとの不倫が噂されました。
なんとも、元恋人の河田さんと共に新しい事務所を設立したとのことです。
松田聖子(51)が2月末で、実母、一子さんと実兄、光久氏が役員を務める所属事務所ファンティックを離れ、新たに個人事務所を設立。公式ホームページはアクセス不能状態だ。
第一報を流した週刊誌「女性セブン」によると、新事務所は聖子の元恋人で長らく専属マネジャーを務めた河田将道氏(40)と一緒に設立したというから穏やかではない。
元々、再婚した当時から河田さんは松田聖子さんの自宅近所に住み、マネージャー業もしていたとのことです。
2014年1月に聖子さんと河田さんのロサンゼルス旅行に河奈さんが後から合流するという謎の動きが週刊誌から報道されていました。
2025年現在も婚姻関係は継続中ですが、2人の夫婦仲が良いのかどうかは謎です。























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