2016年に49歳の若さで死去されたSOFT BALLETの森岡賢さん。
世間的な知名度は高くありませんが、多くの人気ミュージシャンに影響を与えた偉大な方でした。
死去後、大物ミュージシャンたちがこぞって追悼コメントを書いたことで、「何者?」と興味を持つ方が多くいました。
今日は森岡賢さんが亡くなった際の追悼コメントや、ミュージシャンとして評価された部分について整理してみたいと思います。
森岡賢は49歳で死去。死因は「心不全」。大物からの追悼が相次ぐ
森岡賢さんは2016年6月3日に49歳での若さで亡くなりました。

死因は心不全でした。
著名人の死因に心不全が使われる場合、具体的には心筋梗塞、高血圧、心筋症、弁膜症、不整脈の可能性があると考えられますが、森岡さんの場合は詳細は公表されておらず、具体的な死因は実質は不明であります。
直近に出演したルナフェスではいつもと変わらない元気な姿を見せていましたが、その後のソロライブは続けて休演。
森岡さんの死因を巡っては、現在でも特殊な事情があったとの憶測があります。
モリケン死去後の追悼コメント
森岡さんの死後、多くの著名ミュージシャンから追悼コメントが出ました。
HYDE
「非常に悲しい。。森岡さん。。。安らかにお眠りください。It’s the saddest day… Mr. Morioka… Rest in peace.」
TERU
「驚きました・・・ルナフェスでもご一緒させて頂いたので、残念でしかたがありません・・。ただただご冥福をお祈りするばかりです」
SUGIZO
「森岡さん。。。長い間素晴らしい音楽をありがとう。SOFT BALLETをありがとう。minus(-)をありがとう。KA.F.KAをありがとう。そして、ずっと友人でいてくれてありがとう「いつかまた一緒に音出せたらいいね、そちらの世界で。どうか、どうか安らかに。。。」
真矢
「本当に信じられません。心から御冥福をお祈り申し上げます」
PENICILLINの千聖
「本当ですか?SOFT BALLETの影響は我々にとって計り知れない…ご冥福をお祈り致します。R.I.P.」
Dragon Ashの櫻井誠
「信じられません。。AOSでも何度も対バンして、気さくにお話ししてくれるとても優しい方だった。悲しいです」
JUDY AND MARYのTAKUYA
「モリケン先輩辛いなぁ」「胸が痛い」
FIELD OF VIEWの浅岡雄也
「天才は早く逝き過ぎる。。」「涙がとまらん」
BOØWYの高橋まこと
「森岡賢氏の訃報に接しお悔やみ申し上げます」「かなり前になりますが、仕事でドラム叩いた事があります。その時に、生のドラムって凄いんだね~~‼と言ってもらえた事、今でも覚えてます。本当に残念です。合掌」
綾小路翔
「森岡賢さんとは、2013年の氣志團万博で初めて共演をさせて頂きました。hideさんの盟友の皆々様が集結するSPバンド結成の際にキーボードをお願いした事がきっかけだったのですが、中学生の時に初めて生で見た時と変わらぬ美しさとあの唯一無二のパフォーマンスに度肝を抜かれたものでした」
女王蜂のアヴちゃん
「森岡さんと二人で演奏した『愛の讃歌』弾き語りの伴奏は私が初めて、と言ってくださったこと そしてひょっとしたら、私が最後だったのかもしれなかったこと 幻かと思ったら、映像に残してありました ずっと、大切にします」
年上の先輩から同期、後輩まで幅広い年代のミュージシャンから追悼され、生前の森岡さんの影響力の高さが伺えます。
SOFT BALLET森岡賢の凄さ。パフォーマンスとヴィジュアルを一本化させた先駆者
森岡賢さんの印象について語る時、多くが「クネクネのダンス」を連想さすと思います。

転送元:アメブロ
実際に森岡さんがパフォーマンスしてる映像を見てみると、「本当に演奏してるの?」と思うようなダンスを続けています。
森岡さんの凄さはそのダンスで、ただの当て振りで踊ってるだけのように見えて、実はちゃんと演奏してるのです!
森岡賢さんのミュージシャンとしての凄さを簡潔に説明するならば、単なる「キーボード担当」ではなく、作曲・シンセサウンド・ステージパフォーマンス・ビジュアルを一体化させた先駆者だったということです。
当時はボーカルや弦楽器隊以外は後方でゆったりと演奏するのが主流でしたが、森岡さんの出現後は、後方からもガンガン目立ちにいく奏者が増えました。
このようなパフォーマンスを始めたきっかけというのが、昔から憧れていた美輪明宏さんの影響というから驚きです。
美輪明宏さんのエッセンスをロックに持ち込んだという強引さも、森岡さんが天才と言われる所以です。

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また、ファッションセンスや髪型もセンスが良く、しかもイケメンだったという点でも森岡さんに感化されるミュージシャンが多くいたのです。
音大を卒業した恩恵。クラシックを本格的にロックに取り入れる
森岡さんの魅力の1つに単なる独学のシンセ奏者ではないことが言えます。
父の森岡健一郎さんは作曲家・編曲家で”昭和歌謡の音を作った”と言われる天才。

姉は現代美術家の森岡寿里、弟は編曲家の森岡慶と芸術一家に育ちました。
森岡さん自身も東邦音楽大学附属高校のピアノ科を卒業し、その後に東邦音楽大学の作曲学科に進学と技術的に精通。
培ったクラシックの基礎を元にクラシックの要素をシンセに取り入れたのです。
現在ではクラシックを習ったキーボートやシンセは珍しくありませんが、当時にしてはかなり革新的だったのです。
森岡さんの曲には電子音楽でありながら、メロディーそのものに「歌心」があったことも、現在までの大きな評価に繋がっています。
森岡賢と布袋寅泰の名コンビは伝説
2016年に森岡さんが死去された時、SOFT BALLETのファンと合わせて、布袋寅泰さん周辺のファンもショックを受けていました。
実は森岡さんはSOFT BALLETの活動が休止してる期間、布袋寅泰さんの活動に参加。

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布袋さんのサウンドを支えながらも、自分らしいステージングを続けた森岡さんの存在は、布袋さんの世界観をより濃くしました。
そもそも、森岡さんと布袋さんは音楽のアプローチで似た部分を持っていました。
森岡さんはSOFT BALLET時代に「ロックバンドに電子音楽を持ち込む」ことをやっており、一方の布袋さんもBOØWY時代からニューウェーブやファンクなどをミックスさせる試みを見せていました。
ソロ後の布袋さんにとって、電子的な質感を加えることができるタイプのキーボーディストであった森岡さんは非常に都合の良い相手だったのです。
また、ただ確実な演奏をするだけでなく、ステージングにもこだわる布袋さんにとって、森岡さんのダンスパフォーマンスは非常に心地よいものでもあったのです。
参加したツアーは1995年の「Tokyo Inter Live ’95 Cyber City Never Sleeps」の2公演と少なかったですが、この時の森岡さんの存在は布袋ファンにとっても強烈に印象に残っているのです。
森岡さんが亡くなった際、布袋さんは最大級のリスペクトを送っていました。































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