尾崎繁美さんといえば、伝説のロックスター・尾崎豊さんの嫁さんとして有名です。
尾崎豊さんの死後、陰謀説によって酷いバッシングを受けた過去があり、未だにネガティブな印象を持つ人も少なくありません。
あくまで一般人として扱われてきた繁美さんですが、生い立ちを調べてみると小学生の頃から芸能活動を始めており、芸歴的には夫の豊さんよりも先輩だったりします。
バブル時代を描いた小説「アッコちゃんの時代」に登場する港区のマドンナ・厚子の親友・奈美のモデルが繁美さんというのも関心を惹きます。
今日は、尾崎豊さんの嫁・繁美さんの経歴など、分かっていることを整理してみたいと思います。
尾崎繁美の経歴。三姉妹の長女で芸能事務所に所属するモデル。若い頃から圧倒的な美女!
尾崎繁美さんは1968年3月12日に東京都文京区で生まれました。(尾崎豊の2歳年下)
西片、根津、千駄木と渡り住み、幼少期は有名な神社の境内で毎日遊ぶ活発な下町っ子でした。
名前 | 尾崎繁美(しげみ)旧姓:伊藤 |
生年月日 | 1968年3月12日 |
出身地 | 東京都文京区 |
職業 | 有限会社「アイソトープ」。元モデル。 |
学歴 | パイン・マナー・カレッジ(ボストン大学附属語学学校のCELOPプログラム) |
実家の父は製薬会社に勤め、母は小さな会社で経理を勤める共働きの家庭で、子供の頃は鍵を持たされるような子供。
鍵っ子でありながら近所に祖父母が住んでいたので、寂しい想いはせず、毎年誕生日やイベントを大切に祝って貰う普通の子供時代を過ごせています。
繁美さんの下には2人妹がいて、繁美さんは三姉妹の長女です。
両親は繁美さんが18歳になる前ぐらいに別れ、離婚後は母と当時学生だった妹2人と飯田橋にある母の実家に住み、その後は都内の古いアパートに引っ越し暮らしていました。
尾崎豊が数いる女の中で繁美さんを信用したのは、車で送ってボロい自宅の前で正直に「ここが家」と降りたことがきっかけのようです。(大抵の港区系女子は豪邸の前で「ここが家」と降りて、別のところに消えていく)
繁美さんはボロいアパートを尾崎さんに知られて嫌われると思っていたそうですが、実は尾崎さん自身も自分の生い立ちを「貧しい」と思っており、繁美さんに親近感を抱いたと共に、嘘をつかない女として認められたのです。
小学5年生の頃に劇団にスカウトされ大人びた子供に。14歳の頃にアイドルの道へ
繁美さんは小学校5年生の時にスカウトされたのがきっかけで劇団に入団。
子供の頃からチョコボールのCMに出演したり、銀行のポスターなどに登場。
子供ながらも1人で仕事でグアムや北海道に行くなどし、その影響で大人びた子どもになったそう。
14歳の頃に『東大生が選ぶアイドルコンテスト』に友人と応募、前年の受賞者は武田久美子さんという、アイドルの登竜門のようなコンテストでした。
繁美さんは同コンテストで見事にセンセーショナルアイドル賞を受賞。
その後は芸能事務所に所属し、雑誌で紹介されたり、プロモーションビデオを撮って貰うなどし、事務所の戦略で女優を目指すことになったそう。
10代は流行りのディスコにハマる。漫画「キャンディ」の主人公のように愛を求め女優を捨て彼氏を選ぶ
芸能事務所に所属した繁美さんは「ゆくゆくは女優デビューを」といった話も進んでいました。
しかし、繁美さん自身は女優などスターになることに興味が湧かなかったそう。
当時の都会の学生は、早くからお酒やたばこを覚えたり、ディスコに行くなど、大人っぽいことをしたがる時代。
繁美さんは無口で人間観察が好きな女の子でしたが、ディスコで踊ることが好きで彼氏も堂々と作っていました。
繁美さんは小学生の頃から漫画「キャンディ・キャンディ」の主人公に憧れていました。
キャンディの主人公は、初恋の王子様との再会を願って前に進み、どんなことがあっても愛のために諦めない強い女の子です。
ある時期に所属事務所からディスコに行くなと言われ、さらに当時の彼氏と仕事のどちらかを選べと言われ、繁美さんは漫画キャンディの主人公のように、すんなりと愛を選びました。
彼氏を選んだ繁美さんは、その後は事務所には行かなくなったそうです。
ちなみに当時は気学の先生からの「男は選ぶ責任の生き物で、女は選ばれる誇りの生き物である」「結婚する男は、自分を愛してくれる男の中から選べば間違いがない」との教えに感化されていたことも、愛してくれる男性を優先する決断に影響していたようです。
”アッコちゃんの時代”の明子と港区で交友関係。18歳で尾崎豊と出会い20歳で結婚
彼氏やディスコを選び、所属事務所に行かなくなった繁美さん。
事務所に刃向かった繁美さんですが、その後もモデルの仕事などは続けていました。
私生活では14歳の頃に受けた「東大生が選ぶアイドルコンテスト」の会場で林真理子さんの小説「アッコちゃんの時代」の”厚子”のモデルにもなった小出明子さんと出会い、港区を中心に交友関係を広げていました。※繁美さんも同作で”奈美”の名前でモデルとされる
繁美さんは、初めて小出明子さんと出会った際、あまりの可愛さに感動し自分から声を掛けて仲良くなったそう。※小出明子さんは音楽プロデューサー・川添氏と結婚し現在は”川添明子”として有名
初対面で明子さんに「原宿で踊っているから見に来て」と言われ翌週に原宿に行き、そこで当時の歩行者天国でツイストを踊る「ロックンローラー族」に混じり、一際センスを放っていた明子さんに憧れ、すぐに仲良くなったのです。
明子さんと出会ってから、繁美さんの交友関係は港区を中心に広がっていきました。
”アッコちゃんの時代”に登場する厚子(明子さん)の親友の”奈美”は繁美さんをモデルにしており、同作では2人で港区を中心に男たちを夢中にさせていた背景が描かれています。
作品の中で2人は、
「日本で一番いい女を争うユーミンと小林麻美が親友同士なんて、六本木でいい女ナンバーワンを争う私たちが親友同士なのと同じね」
と笑い合う一幕があるように、実際の繁美さんは親友の明子さんほどではなくとも、街で”良い女”として知られていたようです。
繁美さんは束縛する彼氏に嘘をついて尾崎豊の飲み会に参加
小出明子さんと出会い、港区を中心に遊んでいた繁美さん。
18歳になった1986年5月に、NYに向かう尾崎豊さんの激励会に誘われて参加。
当時の繁美さんには束縛の激しい彼氏がおり、繁美さんは彼氏に電話で「もう寝る」と嘘をついて激励会に参加したそう。
尾崎さんと出会う前の繁美さんは楽曲など「I LOVE YOU」程度しか知らず、あまり興味がなかったそうですが、青学に共通の友人がいたことと、友人らに「日本にいる最後かもしれない」と強く押されての参加でした。
繁美さんと尾崎豊さんの馴れ初めについては別記事で詳細を書いています。

最初の約束は尾崎さんが別の女性とのデートが原因でドタキャン、2回目の約束でようやく現れたかと思えば、3時間も遅刻してきたそう。
飲み会にはすでに尾崎さんと関係を持った女性がおり、さらには出会う前から男仲間同士で彼氏のいる難関な繁美さんを落とせるかどうか賭けをしていたそう。
側から見たら絶対に騙されてはいけないタイプの男ですが、繁美さんは彼氏がいながらも彼の強引なアプローチに押され、出会ってすぐに誕生石の指輪を渡すという常套手段にコロッとしてしまい親交を深めることになります。
尾崎さんが帰国した1987年には恋人関係となり、覚醒剤に苦しむ彼を支え、逮捕された後は獄中の手紙でプロポーズまでされています。
逮捕、釈放後に尾崎さんが着ていたセーターは、繁美さんの手編みでした。
ちなみに「アッコちゃんの時代」での繁美さんモデルの奈美さんの彼氏は”売れないミュージシャン”とされていましたが、実際の繁美さんの彼氏・尾崎豊は出会った頃にすでに売れっ子でした。(スランプでしたが)
繁美は20歳で尾崎豊と極秘結婚。復活を支える
1988年5月12日に繁美さんは尾崎豊さんと結婚。
尾崎さんと結婚した際のことについては別記事に詳細を書いています。

結婚当初、尾崎豊さんは執行猶予中だったということで、仕事や友人など周囲には極秘で結婚しました。
獄中の中で描いた「太陽の破片」で初めてのテレビ生歌&復活ヒット。
同曲を初めて聞いたのは繁美さんで、長い活動休止で容姿がボロボロだった尾崎さんのTV出演に向けたトレーニングに付き合ったのも繁美さんでした。
復活した同年9月には5万人を動員した伝説の東京ドームライブを成功させますが、公演までに精神を乱した尾崎さんに好きにトイレに行かせてもらないなど束縛を受け、公演後に血の尿を出して入院。
22歳で尾崎豊との間に息子を出産。激しい束縛や不倫に耐えながらも復縁も事故死
尾崎豊さんと結婚した後の繁美さんは、激しい束縛に遭い、時にはDVを受けることもありました。
それでも尾崎さんが純粋に繁美さんを愛する気持ちは真剣で、家の中から聞こえてくるメロディーに幸せを感じていました。
尾崎豊さんのアルバム「誕生」に収録されている曲のほとんどが、繁美さんと出会ってから制作された曲で、誕生の瞬間を共感するなど思い入れが強いそうです。
1988年の12月に妊娠し、1989年7月に長男が誕生。

子供が生まれて以降の別居や不倫については別記事に詳細を書いています。
出産後は子供を優先させてしまったことから尾崎さんからの信頼が揺れ、不倫が怪しくなり、別居。
1991年3月に斉藤由貴さんとの不倫が世に出た後は、離婚協議にまで発展しました。

その後、仲直りしてやり直そうとした矢先、1992年4月25日に尾崎豊さんが突然死してしまいます。
尾崎豊の死後に陰謀論が出て激しいバッシング。息子と渡米し育児留学
尾崎豊さんが亡くなった後、繁美さんは長く陰謀論からバッシングを浴び、近所に張り紙、脅しの電話や手紙などに苦しみました。
尾崎豊さんの亡くなった当初の詳細については別記事に書いています。

亡き夫の会社「アイソトープ」を継承した後は、著作権の管理やファンクラブの会報などで忙しくなり、育児もままならない状態でした。
子供を外で遊ばせることができない環境、そして仕事に忙しくでまともに構ってあげれない状況を打破しようと、アメリカ・ボストンへの育児留学が決定。
アメリカ移住のため、アイソトープの運営を大手のシンコーミュージックに委託。
初めて受けたTOEFLは360点で、志望校への留学は、最低でも460点が目安ということで空いた時間に英単語を覚えたり、英語が話せる知人の協力で教えてもらうなどしたそう。
ボストン大学付属の語学学校 CELOP(Center for English Language and Orientation Program)というプログラムでパイン・マナー・カレッジに入りました。
現地ではシングルマザーも多く、治安も良くて日本人の医師もおり、当然尾崎豊のことを知らない人が多いため、安心して過ごせたそう。
高卒で音楽活動しようとする息子を大学に行かせた
渡米当時の息子は5歳で、帰国した頃には15歳になっていました。
息子は帰国後に名門「アメリカン・スクール・インジャパン」に入学、同校は親と共に高い英語力がないと入れない学校で、過去にハーバード大学に進学した生徒を出しているような難関校です。
当時に息子は父・豊のトリビュートアルバムに参加したり、歌手としての活動も徐々に始めました。
息子は高校を卒業した後に大学に進学せずにミュージシャンとしての活動を本格的にやりたいと言いましたが、繁美さんは反対。
「高校を卒業するタイミングで、母親に『ミュージシャンになるから、大学には行かない』って言ったんですけど、『馬鹿野郎』って言われて(笑)。その頃はちゃんと曲も書いてなかったし、一生の友は学生のときじゃないと作れないから、大学に行ってからでも遅くないんじゃないかと。」
芸能界や港区の社交に揉まれた繁美さんの「一生の友は学生のときじゃないと作れない」という言葉は重たくて説得力があります。
その結果、息子はAO入試で慶應義塾大学の環境情報学部に進学。
1年の留年を経て慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科修士課程に入学するなどし、その後に歌手としての活動を本格的にさせていきました。
現在は息子と別々に暮らす
現在では息子とは別々に暮らしており、必要な時に電話かメールをする程度で、母親だからと言って深く干渉しないようにしてるそうです。
自立していった息子を程よい距離感から見守ろうとする姿勢で、息子には自分の人生をあるがままに生きて欲しいそうです。
尾崎繁美の現在の仕事は?詐欺仲介や再婚の噂。ネットには陰謀説が残る
帰国後の繁美さんは、主に豊さんが残した会社で著作権管理などの仕事をしているようです。
2012年頃は名前を尾崎公美(さとみ)に改名してジュエリーサロンを運営してるという噂がありました。
2013年に川島なお美さんが自身のブログで誕生日に繁美さんから自社ブランドの指輪をくれたと記述していたことで、噂は広まりました。
また、2017年頃には週刊誌フライデーからガーナゴールドの詐欺の仲介に関わったという記事が出ました。
ポンジ・スキームの手口で仲介していたとのことですが、その後に詳しい報道は出ていませんし逮捕もされていません。
また、なぜか再婚したという噂も出ていますが、現在の時点で繁美さんが結婚したという情報はありません。
むしろ、立ち上げたSNSアカウントに尾崎豊さんとの思い出の写真を投稿したり、生前の彼を回想するコラムを出したりしてます。
新しいパートナーがいたとしたらヤキモチを焼きそうな動きばかりしてるというこで、再婚はないと思われます。
バッシングが多くても尾崎豊の死後30年後にコラムで真相を語る
尾崎豊さんが亡くなって以降、繁美さがは彼の死に関与したという陰謀説が多く出ました。
親近者や関係者の書籍などから尾崎豊さんの死について知っていることが綴ると、繁美さんの陰謀説は徐々に弱まっていきました。
死後、30年後となる2022年からはネット媒体で尾崎豊さんとの出会いから結婚、不倫、死別後について赤裸々に語り、ファンから反響がありました。
繁美さん本人がしっかりと詳細を語ってくれたことで、陰謀説もガセネタということが分かってきましたが、それでもネット上では繁美さんを疑い続ける書き込みが残ります。
やはり、10代の頃を中心に港区系女子として遊んでいた時期があったという点で、港区の人脈から悪い繋がりを想像する人が一定数いるのです。
「アッコちゃんの時代」に繁美さんを模範したと思われる奈美さんという女性が登場しますが、親友だった厚子(明子さん)は妻子持ちを略奪し、夫・川添氏は薬物関係捕まったことがあるなど、港区人脈にグレーな話題が多いのです。
現在でもネット上には、かつて繁美さんが”田崎”(実在するか不明)という薬物に近い方と交際し、尾崎さんと共通の青学の友人らと共に・・・という都市伝説が残り続けています。




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