
鈴木雅之さんといえば、若き日々は”シャネルズ(ラッツ&スター)”のメンバーとして活躍し、ソロになって以降は”ラブソングの帝王”と呼ばれました。
常にサングラスを着用しているということで、鈴木雅之=サングラスのイメージが定着しています。
今では渋くて歌の上手い人というイメージですが、実は若い頃は2枚目ミュージシャンとして知られていました。
今日はそんな鈴木雅之さんの若い頃と、昔の貴重なサングラス無しの姿について書いてみたいと思います。
鈴木雅之の子供〜高校時代。10代は田代まさしと親友で素行が悪い?
鈴木雅之さんは1956年9月22日に東京都大田区にて誕生しました。
家族は旋盤の町工場を経営する父と母、そして気が強い4歳年上の姉・聖美さんの4人です。
幼少時代の鈴木さんは内気な性格だった為に常に強い姉と行動を共にしていました。
幼少期から姉がビートルズを聴いていた影響から、当時の洋楽を聴き始めました。
小学3年生の頃にはR&Bやフォークソングなど洗練された音楽を好んで聴きました。
そのバッグボーンがミュージシャンになった後に大いに生きたそうです。
幼稚園で後にシャネルズで共にする桑野信義さんと出会っています。
また、子供の頃から実家で犬を飼っており、大人なった現在でも愛犬家として知られています。
名前 | 鈴木雅之 |
愛称 | マーチン |
出身地 | 東京都大田区 |
生年月日 | 1956年9月22日 |
身長 | 176センチ |
血液型 | AB型 |
出身小学校 | 大田区立大森第三小学校 |
出身中学 | 大田区立大森第八中学校 |
出身高校 | 芝浦工業大学工業高等学校(中退) |
不良だった中学時代。シャネルズのメンバーの佐藤善雄、桑野信義、久保木博之と出会う。
鈴木雅之さんは大田区立大森第三小学校を卒業した後は、同じ地元の大田区立大森第八中学校に進学。
中学校では、後にシャネルズを結成することとなる佐藤善雄さんと久保木博之さんと桑野さんに出会います。
部活には入らず、音楽活動を活発に行い、当時は「ガロ」のコピーバンドをやっていました。
中学の頃からヤンチャになっていき、当時は不良グループのリーダー格でした。
ちなみに姉の聖美さんも活発で、当時は地元でも強い存在だったそうです。
高校は私立の男子校の芝浦工業大学工業を中退。田代まさしと出会い意気投合
鈴木雅之さんは中学を卒業すると私立の男子校の芝浦工業大学工業高校に進学しました。
当時、同校は地元では勉強のレベルが低いいわゆる「底辺校」でした。
同じ高校に進学した”田代まさし”さんとは入学式の初日から意気投合し、父とソリの合わなかった田代さんは鈴木さんの実家に居候することが多かったそう。
田代さんは鈴木さんの家族に気に入られており、特には母親に気に入られ家族同然の関係となっていたそうです。
鈴木雅之さんと田代まさしさんは悪友でもあり、田代さんとともに暴走族「蚤」を結成しています。
暴走族と言ってもゴリゴリに悪いことをするというよりも、当時はディスコ通いやバイク趣味に熱中するなど、90年代から登場したチーマーのような活動を先取って行っていました。
地元でも有名な不良でしたが、鈴木さんは大人になった後に「ケンカは強かった?」と質問さに「中間くらい」、「学生時代番長だった?」という質問には「どちらかというと裏番」と控えめに答えています。
不良活動をしながらも、当時からハードロック系のバンドでドラムを叩くなど、音楽活動にも精を出していました。
ある時期に仲間の1人をバイク事故で亡くしてしまった衝撃から音楽一筋になり、音楽の練習に明け暮れる日々を過ごしました。
結局、高校は卒業せずに中退することになりますが、10代の内に後にブレイクするバンドを結成することとなります。
鈴木雅之の20代。素顔が普通にイケメン!
鈴木雅之さんは1975年の19歳の頃にシャネルズ(※83年からラッツ&スター)を結成。
創立メンバーは、幼馴染の桑野信義さん、中学で出会った佐藤善雄さんと久保木博之さん、高校で出会った田代まさしさんと、幼少期から青春時代を共に駆け回った仲間たちでした。
鈴木雅之さんはシャネルズのリーダーとして顔を黒く塗り、リードボーカルとしてバンドを牽引しました。
24歳だった1980年にシャネルズは「ランナウェイ」でメジャーデビューすると、楽曲は大ヒットを記録し、バンドは全国区となりました。
黒塗りにサングラス姿の鈴木さんでしたが、素顔を絶対に出さなかったわけではなく、何度かメディアでスッピンを晒しています。
輪郭のバランスが美しく、花もスッと高くて男前です!
1985年のシャネルズメンバーとの合同結婚式では記念撮影の際にサングラスを外すなどしています。
今となっては貴重な鈴木雅之さんのサングラスなしの姿では、80年代は要所で見ることができました。
シャネルズ(ラッツ&スター)の黒塗り&サングラスはユニットのブラックミュージックの世界観を濃くするのに役立ちました。
結果的にシャネルズ(ラッツ&スター)は邦楽ののR&Bやブラックミュージックシーンの草分け的存在となりました。
ちなみに、シャネルズが偽り無しのヤンチャだったことを知っていた「横浜銀蝿」のメンバーらは、シャネルズとも対面に慎重だったそうです。
今では各メンバーがバラエディなどで活躍しているために、シャネルズにコミカルなイメージを持っている人も多いですが、80年代当時はしっかりと威厳を守っていたのです。
ソロデビュー後はサングラスがトレードマーク。”してないと落ち着かない”
鈴木雅之さんは1986年からはソロとしても活動を始めました。
元々ユニット内でも圧倒的な歌唱力を誇っていただけに、ソロ活動は出だしから順調そのものでした。
山下哲郎さんや小田和正さんをプロデューサーに迎えてのアルバム制作や、精力的なライブ活動、1991年には紅白に出場とソロとしても成功を掴みました。
ソロになってからはサングラスを公で外すことがなく、この頃から本格的に鈴木さんのトレードマークとなりました。
今となっては夜に人と会う際もつけてないと落ち着かないとのことで、鈴木さんにとってもサングラスは体の一部のようになっているようです。
ちなみ、元々サングラスを付け始めた理由は単純で、本来の内気な性格が表に出ただけだそうです。