Acid Black Cherryのyasuさんといえば、2017年に活動休止して以来、いまだに復帰の目処がついていません。
作曲の能力の高さ、艶やかで色気のある歌唱、シルエットの良い外見、ワイルドかつユーモラスなステージング、ファン想い、トータルスコアの高い本物であるだけに表舞台にいない時間の長さが悔やまれます。
活動休止後にも、Janne Da Arcの解散、ガーシーに堅物であることを暴露されたり、それなりに色々ありました。
今日はyasuさんの活動の流れを簡潔に時系列で振り返り、休止後にあった出来事について整理してみたいと思います。
yasuの昔から現在の時系列。生誕からJanne Da Arc結成、手術、活動休止、解散まで。
1975年1月27日 | 生誕 |
1987年 | 大阪府立枚方中学校入学。you、ka-yuと出会う。 |
1988年 | you、ka-yuとX JAPANのコピーバンド「パピー」を結成。 |
1989年 | バンド名が「パピー」から「結膜炎」に変更。 |
1990年 | 大阪府立枚方西高校入学 |
1996年 | Janne Da Arc結成 |
1999年 | 声帯のう胞を発症し手術 |
1999年5月19日 | Janne Da Arcメジャーデビュー |
2007年1月26日 | Janne Da Arc活動休止 |
2007年5月 | Acid Black Cherry始動 |
2009年9月 | 2度目の声帯のう胞を発症。年末に手術 |
2017年8月3日 | 頚椎損傷や起因する身体各所への痛みなど、複合的な症状の併発により活動休止を発表。 |
2018年1月21日 | hyde、DAIGOらの新年会を兼ねた誕生日会に参加し出席者のインスタに登場。 |
2018年4月 | ガーシーのブランド「QALB」のホームページに写真掲載 |
2019年4月1日 | Janne Da Arc解散※前日3月31日にka-yu脱退 |
2022年 | 親交のあったガーシーが暴露チャンネルでyasuの人間性を絶賛 |
2023年4月10日 | hydeと共にDAIGOの誕生日会を開いていたことが知られる |
2025年1月27日 | 50歳の誕生日にABCのプロデューサー/菊池真太郎のレーベル「LtOVES」(エルトヴェス)に所属したことを発表。まだ現場復帰は不可能と声明。 |
yasuは頸椎損傷を理由に活動休止。復帰時期は明言せず
yasuさんは2017年の8月3日「Acid Black cherry 2017 tour Blood History “BLACK×BLOOD”」の公演前に活動休止を発表。
「長年の活動から生じた頸椎の損傷とそれに起因する身体各所への痛み、複合的な症状の併発」
予定されてたいツアー全ての公演の中止を発表。
当時、ツアー開始ギリギリでの発表だったことに加えてリハーサルもしており、yasu本人も苦渋の決断だったといえます。
後日、直筆でもファンにメッセージを発表。
ファンへのメッセージの中には、「ヘドバンをしたからこうなった”ではなく”ヘドバンをした後のケアを怠ったからこうなった」とあり、頸椎損傷は自己責任だったと伝えていました。
活動休止から数ヶ月後にはABCのプロデューサーからの近況報告で日本にはいないことが伝えられています。
ガーシー(東谷義和)さんが暴露系YouTuberとして活躍していた頃、休止後のyasuさんにハワイを勧めると、本人もハワイの気候や穏やかな雰囲気気に入り、現地で治療に励んだと回想していました。
つまり、活動休止して間もなくして、日本から離れてハワイで休養生活を始めていたということです。
活動休止直後はyasuの姿が確認できた。現在の劣化具合を心配する声
2017年8月に活動休止したyasuさんですが、その後しばらくは誰かのSNSなどにチョロっと登場していました。
2018年の1月には新年会を兼ねての誕生日会をしてもらった様子がインスタにアップされていました。
髪の毛で顔は見えないですが、活動していた前年の頃と特に変わった様子はなさそうでした。
金髪もプリンにならず、ちゃんと美容室に行ってケアしていることが伺えます。
同年2018年4月には東谷義和(ガーシー)のアパレルブランド「QALB」のページに同ブランドのパーカーを着たyasuさんの写真が上げられていました。
あまり変わらないようにも見えますが、輪郭のラインがやや健康的になった印象。
2016年11月25日に映画『L−エル−』の舞台挨拶に登場した頃と比べるて見ると、持ち前のコケたフェイスラインの印象がやや弱くなっているように見えます。
髪型やパーカーのフードなどがあるので、あまり比較にはなりませんが。
この2018年4月のガーシーさんのブランドパーカーの写真を最後に、yasuさんの顔や姿を確認できる写真は出回っていません。
その後のyasuさんの公に向けたアクティブは、
・2019年のJanne Da Arc解散決定のコメント
・2023年のDAIGOの誕生日に参加したこと(写真なし)
・2025年にABCのプロデューサーが立ち上げたレーベルに所属した挨拶
↑これらしかなく、いずれもyasuさんの姿を確認できるアクティブではありませんでした。
50代のyasuが復帰して出来る事。頚椎損傷の回復の難しさ
yasuさんは頸椎損傷よりも前にも、過去に喉を痛めて活動を休止していたこともありました。
2009年ABCのツアー直前に喉の不調を訴え、検査したところ「声帯のう胞」が発見され手術が必要と判断されるも、無理を押してツアー決行。
その結果、ツアー前よりも状態が悪化し、手術と長い休養が強いられました。
yasuさんは多少の無理をしてでも活動したいというプロ意識を持った方ですが、現在患っている頸椎損傷は、本人の我慢やど根性云々の問題ではありません。
2025年のABCのプロデューサーが立ち上げたレーベルに入ったyasuさんは挨拶の中で、
正直首をやって以来、情けない話ですが昔のような強い声が出なくなりました。
唄の前にまず体を治さないとという感じです。
今の僕は声の出ないおじさんなので、とりあえず歌えるおじさんくらいまでには戻したいなとは思っていますが、それも焦らずやらせてください。
と、本人が「焦らずに」というように、休養に入って8年経った段階でも復帰の目処が立っていないことが伺えます。
頚椎損傷が治ることはあるのか?年齢的に復帰できても・・・
42歳の頃から休養に入っていたyasuさんも、ついに50代となっています。
技術や努力で治せるような損傷(というかズレ?)ではないため、何をアテに復活を信じて良いのか分かりません。
2019年にはJanne Da Arcが解散してしまい、待っているファンは相当にナーバスになっています。
そもそも年齢的にも、健全な状態だったとしても歌唱力やパフォーマンスの維持はただでさえ難しく、それは50歳を過ぎた頃のToshiさんやhydeさんの様子を見れば一目瞭然です。
特にyasuさん歌唱は高音に色気や艶が乗っかるのが持ち味であり、それらの復元は厳しそうです。
復帰できたとしても以前の魅力をそのまま出すことは難しいと思われます。
仮に復帰した場合、ファンはどこまで現在のyasuさんを受け入れられるのか?という、別の戦いが待ち受けてることでしょう。








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