吉田美和に内縁の夫・末田健と死別した過去。略奪不倫から事実婚へ

ドリカムのボーカル・吉田美和さんといえば、旦那さんが年下のギタリストで有名ですね!

嫁さんを立てれる良い夫として話題になっており、女性の社会での立場が強くなったご時世を象徴する良い夫婦として見られています。

そんな吉田さんですが、実は結婚は今の旦那さんが初めてではありません。

実は、2000年代に既婚者の方と不倫をした末に、その方を略奪し事実婚状態となりますが、最後は死別という悲しい別れをしています。

旦那(時期)
1人目の旦那(事実婚) 末田健(2004年5月〜2007年9月26日)※死別
2人目の旦那(婿入り) 鎌田樹音(2012年3月〜)

今日は、吉田美和さんの事実婚状態だった最初の旦那について書いてみたいと思います。

吉田美和に既婚者との不倫報道。相手は映像ディレクターの末田健

90年代に多くのヒットソングを生み出したドリカムのお二人。

忙しさ故に、メンバーらは若い頃に結婚できず、ボーカルの吉田美和さんも婚期を逃していました。

吉田美和さんは、長く目立った熱愛報道もありませんでしたが、2003年1月に、突如、既婚者との禁断の関係が大きく報道されました。

吉田美和さんが不倫していたという相手は、映像ディレクターの末田健さんです。

当時の吉田美和さんは37歳で、末田さんは9歳年下の28歳でした。

名前 末田健
生年月日 1974年
職業 映像ディレクター
最終学歴 東放学園専門学校放送芸術科
命日 2007年9月26日

不倫相手となった末田さんは、当時にして全盛期だった浜崎あゆみ、大塚愛さん、EXILE、モー娘。などのミュージックビデオを担当してきた売れっ子の映像ディレクターでした。

吉田美和さんと年下の既婚クリエイターの禁断の恋は、世間から大注目されました。

吉田美和と末田健の馴れ初めはMV撮影

吉田美和さんと末田健さんの馴れ初めはDREAMS COME TRUEのプロモーションビデオがきっかけでした。

2人は出会ってしばらくして恋人関係になり、不倫報道が出た2003年1月の時点ですでに同棲までしていました。

当時吉田美和さんが9歳年下の既婚男性と”どっぷり不倫同棲”という報道は、世間からバッシングを受けていました。

数々の恋愛ソングを生み出してきた吉田美和さんが略奪愛をしていたとなると、それはある意味の裏切り行為のようでした。

しかし、実は吉田美和さんは、末田健さんが既婚者だと知っていた妻子から略奪をしたのではありませんでした。

末田さんと出会って恋に落ちた後に彼が妻子持ちの既婚者だと知ったのです。

末田健は奥さんと離婚し吉田美和と事実婚

2003年1月に週刊誌によって不倫報道が報じられた吉田美和さん。

吉田美和さんは、報道が出るまでに末田健さんが既婚者であることを知らず、週刊誌からのリークで初めて自分が既婚者の男性と恋仲であったことを知りました、

吉田美和さんは報道後に不倫をしていたを知り、かなり落ち込んだそうです。

それでも報道後も不倫関係を続けていた吉田美和さんと末田健さん。

2003年3月、末田健さんは奥さんと離婚

略奪が正式に成立すると、翌2004年5月6日の吉田美和さんの誕生日に周囲に事実婚宣言。

2004年5月のDREAMS COME TRUEのファンクラブのホームページで、

籍を入れるわけでもないし、でも心意気は「共に白髪が生えるまで」だからさっ!

と、ファンにも明るく報告しました。

2004年の「やさしいキスをした」が不倫ソングだとバッシング

吉田美和さんの略奪愛は世間からは冷ややかな目で見られていました。

しばらく生活の拠点をニューヨークに移すなど、スクープの影響は私生活にも及んでいました。

影響は音楽活動にも及び、2004年にドラマ「砂の器」のために書き下ろした楽曲「やさしいキスをして」が、世間から「不倫ソングだ!」と問題になったこともありました。

ドリカムの中村さんは同楽曲はあくまでドラマのために書き下ろした曲で、不倫との親和性はないとブログで全否定しました。

吉田美和は末田健とは2007年に死別。死因は胚細胞腫瘍

2004年5月から始まった吉田美和さんと末田健さんの事実婚。

世間からはバッシングを受けながらも、2人の結婚生活は順風満帆でした。

しかし、結婚生活が始まって3年後(2007年)に末田健さんとは死別することになります。

末田健さんは2007年9月26日に胚細胞腫瘍が原因で、33歳の若さでこの世を去りました

『胚細胞腫瘍』という病気は、30歳頃までの若い男性に発症することが多い癌だそうで、脳にできた場合は意識障害など重篤な症状を引き起こすと言われております。

吉田美和は夫の看病をしながらツアー完走。末田健がツアー完走を望む

吉田美和さんの夫・末田さんが倒れたのは、ドリカムの4年に一度の大規模ライブ「ドリカムワンダーランド」の開幕直前でした。

吉田美和さんはツアーの中止も考えましたが、夫・末田さんが「ツアー楽しみにしてる!頑張って!」と声かけしたことでツアーを行うこととなりました。

吉田美和さんは多忙なツアーの側、自宅に医療器を置いて看病に徹していたそうです。

頭痛や意識障害、嘔吐といった症状を訴える末田さんのため、吉田は自宅に医療機器を設置して必死の看病に努めた。

また、末田さんはドリカムの20周年に向けて、末田監督にしか撮ることのできない吉田美和の長編ドキュメンタリーを作ろうと、張り切っていました。

あくまで前向きであった末田さんですが、吉田美和さんは病室とコンサート会場を往復する不眠不休の毎日を送りました。

ツアー中、吉田美和さんは、セットがラブソングに差し掛かる度に涙が出そうとなるという、精神的にもギリギリの状態でした。

そして、DREAMS COME TRUEは2007年9月23日の最終公演まで走り切りました。

最終公演後も病院に向かい、旦那に付きっきりの看病を続けました。

9月23日にツアーの最終公演を終えると、末田健さんは安心したかのように3日後の9月26日に息を引き取ったのです。

末田さんは吉田に見守られながら息を引き取り、病院の廊下には死別を受け入れられない吉田さんの絶叫が響きわたったそうです。

吉田美和は末田健と死別後追悼曲”AND I LOVE YOU”をレコーディング

事実婚関係だった末田健さんがを亡くした吉田美和さん。

本来であれば中止も考えた2007年の「ドリカムワンダーランド」は、末田さんの一声で駆け抜けることができました。

ツアー完走後に死去し、それから3ヶ月、吉田美和さんは活動を休止し、毎日のように泣き、体は痩せ細りました。

実は、吉田さんと末田さんには、ツアーの完走の他にも「一緒に旅行した際に完成させた曲を07年のクリスマスまでに発売させる」という約束もしていました。

亡くなってからしばらくの間、吉田美和さんはショックから歌うことさえもできませんでしたが、末田さんとの約束を思い出し、その楽曲のレコーディングに踏み切りました。

末田さんを追悼した楽曲の名前は「AND I LOVE YOU」です。

1分52分の曲でも1行ごとに涙が溢れる

末田さんとの約束のために追加した「AND I LOVE YOU」。

この曲は1曲1分52秒というは短い曲ですが、吉田さんはレコーディングの際、歌詞を1行歌うごとに涙を流し、なかなかレコーディングが進まなかったそうです。

映像ディレクターでもあった夫、末田健(享年33)との約束があった、と番組は報告。

2006年にドリカムと末田はプロモーションビデオの撮影のため世界中を旅行、その際に完成していた曲を収録したアルバムを07年のクリスマスまでに発売しようと話し合っていた。

その予定していたアルバムに、夫を追悼する「予想外」の新曲が加わった形だ。

曲のタイトルは「AND I LOVE YOU」。1分52秒の短めの曲だが、吉田は収録時、歌詞を1行歌うごとに涙をあふれさせていたという。

「AND I LOVE YOU」を収録したアルバムは、末田健さん約束した2007年の12月までに何とか発売。

吉田美和さんは、生前の末田さんとの約束を無事に守ることができたのです

ちなみに吉田さんの相方・中村正人さんは発売される前、公式ブログで末田健さんについて言及していました。

スーくん。

「ア・イ・シ・テ・ルのサイン 〜わたしたちの未来予想図〜」を、スーくんに捧げます。たとえスーくんと吉田が別々の世界にいようと、ふたりのアイシテルのサインはお互いに届いていると信じています。だから、どうか、吉田を見守ってください。吉田がスーくんに触れることができなくても、彼女が歩き出せるよう力をください。できたらいっつも吉田のそばでうろうろしていてください。

僕は、吉田がこの歌をまた歌える時がくるまで、静かに待ちます。

ブログでは”末田健さんに捧げます”と綴っていました。

年末には紅白歌合戦に出場。和田アキ子と抱き合う

末田さんが亡くなった2007年の年末、ドリカムは紅白歌合戦に出場しました。

紅白歌合戦のリハーサル中で、親交の深い和田アキ子さんとステージ中で泣いて抱き合う一幕がありました。

紅白では「ア・イ・シ・テ・ルのサイン 〜わたしたちの未来予想図」の特別バージョンを披露し、ファンを喜ばせました。

吉田美和さんは精神的にも体力的にもギリギリな状況でありながらも、紅白を辞退すれば末田さんが悲しむと思い、気丈に出演したのです。

最後の最後まで、末田さんを思いやり、年内最後の役目をしっかりと果たされました。

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