フォーク界きってのプレイボーイだった吉田拓郎さん。
過去に3度の結婚をしてますが、最初の結婚は26歳の頃でした。
1人目の嫁は同じ歌手の四角桂子さんで、彼女との間には唯一の子供が誕生しています。
最初の結婚はわずか3年でしたが、その中では幾度もスキャンダルがありました。
有名な熱狂的な女性ファンの虚言による誤認逮捕事件が起きたのも、四角さんと既婚中の時でした。
今日は吉田拓郎さんと四角桂子さんの馴れ初めと結婚、新婚早々の誤認逮捕事件、そして娘の誕生から離婚までの出来事を書いてみたいと思います。
吉田拓郎の最初の嫁・四角桂子の馴れ初め。初対面の印象は最悪だった
吉田拓郎さんの最初の結婚は1972年の26歳の頃で、相手は歌手の四角桂子さんです。
2人の出会いは1971年5月、この頃の吉田拓郎さんは売れ始めたばかりで勢いに乗っていた時期でした。
吉田拓郎さんは”広島フォーク村”というサークルで、1971年5月30日に愛知県で開催された「六文銭」とのコンサートに出演。
このコンサートの中で「六文銭」に所属する四角桂子さんと出会い、吉田拓郎さんの方から一目惚れしました。

吉田拓郎さんは四角桂子さんとの初対面について、
初めて会った時から、ほう、いい女だなあって思ったよ。
だいたい俺は惚れっぽい性質だしね。
でもちょっと小生意気な感じもしてね。
こういう感じの女は一発やんなきゃわからないって思ったんだよ。
よし、いっちょチャンスを作ってやろうと狙いはつけたわけよ。
と、少々上から目線だったことを明かしています。
一方で、四角桂子さんはそんな吉田拓郎さんの心境を察してか、第一印象は良くなかったようです。
ひと言でいえば、すご~くイヤ~な感じの男だってところかな。
紹介されてもね、素足に運動靴をはいて、楽屋のテーブルの上に座ったまま足をブラブラさせながら、”アッ”とか”ヘッ”とか言うだけなの。
普通の人なら”よろしく“ぐらい、ちゃんと立って言いそうなものでしょう。
それも相手はウラ若き乙女だったんだから・・・
実際に当時の吉田拓郎さんは毎晩のようにお酒を飲んで暴飲暴食。
素行は良いともいえず、荒れた生活を送っており、大阪岸和田出身の四角さんの趣味ではなかったのです。
初対面では恋愛フラグが立たなかった2人ですが、その後に吉田拓郎さんのガッツで交際にまで発展します。
喧嘩で怪我した吉田拓郎を介護し交際に発展
吉田拓郎さんは四角さんが所属する「六文銭」と共演後も、六文銭と仕事する機会が多く、頻繁に顔を合わせるようになりました。
初対面から四角さんに一目惚れしていた吉田拓郎さんは、用もなしにわざわざ六文銭の練習場に顔を出しては四角さんに話しかけてアピール。
徐々に2人の距離も縮まっていき、良い音楽仲間となりました。
ある時に酒癖が悪い吉田拓郎さんが酒の席で喧嘩し負傷。
その時、四角佳子さんが吉田拓郎さんを心配し泣きじゃくりながら介抱。
四角佳子さんは深夜営業しているスーパーを探して、ガーゼと絆創膏を購入し、手当。
吉田拓郎さんはまさかの展開に感動し、さらに四角さんに惚れていき、やがて真剣交際に発展。
そして、1年間の交際を経て1972年に入籍。

結婚した同年1972年6月に軽井沢の聖パウロ教会で結婚式を挙げました。
当時、吉田拓郎さんは26歳で四角さんは20歳でした。
四角さんは吉田さんとの結婚を機に引退することとなりました。
高円寺での新婚生活は喧嘩ばかり
1972年に結婚後、新婚生活は東京・高円寺の2DKのアパートでスタート。

めでたく一緒に暮らすようになった2人ですが、当初から喧嘩ばかりだったようです。
もともとミュージシャンとして個性の強い2人だけに、食事の趣味が合わないなどヒョンなことで揉めてばかりだったのです。
四角さんはアウトドアなのに対して、吉田さんはインドア。
鹿児島出身の亭主関白の吉田さんに対して、四角さんも関西出身で気が強いなど、価値観の全てが真逆でした。

それでも、吉田さんは四角と結婚する前から性格が合わないことは知っており、四角さんの女性としての魅力が勝ち、結婚に踏み切ったとのことで、そんな毎日も楽しんでいたのです。
ちなみに、名曲「結婚しようよ」は、四角さんの為に作ったとされており、曲の内容を聞いてると色々と納得ですね!
結婚翌年に吉田拓郎が誤認逮捕。熱狂的ファンが婦女暴行をでっち上げ仕事激減
1972年6月に結婚し、喧嘩が絶えないながらも幸せだった2人です。
しかし、27歳を迎えた直後の1973年5月23日にヒドイ事件に巻き込まれてしまいます。
1973年5月23日の早朝、石川県警金沢中署の刑事が3人が吉田拓郎さんの自宅に押し掛けました。
なんと、婦女暴行致傷の容疑の元、吉田さんを連行。

吉田拓郎さんは身の覚えないないことで仰天していると、警視庁の取調室で取り調べ後、手錠をかけられたまま通報のあった金沢まで連行されてしまったのです。
ファンの女子大生が親に「吉田に暴行された」との言い訳が派生し通報された
突如、婦女暴行致傷の容疑で捕まってしまった吉田拓郎さん。
当時、メディアでも大きく報道されました。

報道の内容によると、
1973年4月18日深夜、金沢でのコンサートを終えた吉田拓郎は、バンドのメンバー3人と市内繁華街のスナックに入店する。
その店内に被害者(女子大生A子)がいた。
A子は吉田拓郎と意気投合する。
A子と一緒にいたポーイフレンドが気分を害して険悪な雰囲気に…店を出る際に男が拓郎に向かって捨てゼリフを吐き、それにむかついた拓郎が男の顔を殴る。
唇から血を流していた男は、拓郎のホテルで手当てを受けて一人で帰宅する。
部屋に拓郎とメンバー、一緒についてきたA子、スナックの女子店員が残る。
その後、酒を飲みながら皆でトランプなどに興じながらひと時を過ごす。
そして深夜、拓郎はA子を自分の部屋に連れて行ったという。
金沢中署の発表では、A子は拓郎から20分にわたって監禁され、暴行されかけたが、懸命の抵抗で未遂に終わる。
とのことでした。
逮捕から10日後、吉田拓郎さんは不起訴処分で釈放されました。
なんとも、上記の内容はすべては女子大生(A子)の狂言だったということが判明したのです。
実際に女子大生と面識があったのは事実だったものの、一緒にいた部屋に鍵は掛かっておらず、吉田拓郎さんは女子大生が部屋を出ていく際、額にキスをしただけだったのです。
ファンだった女子大生は、翌日に「拓郎とデートした」と大学で自慢までしていたそう。
女子大生は親に友人の家に泊まると言って朝帰りし、嘘がばれて両親に責められた際に「吉田拓郎に暴行された」と嘘の言い訳してしまったのです。
また、当時の女子大生には婚約者がおり、その話を聞いた婚約者が激怒、女子大生は後に引けなくなり、告訴せざるを得なくなったということです。
警察の調査で現場にいた人の証言が次々に出て嘘がバレ、結局、女子大生は告訴を取り下げることとなりました。

吉田拓郎さんは不起訴になったものの、その事件によってイメージを悪くしてしまいました。
さらに部が悪かったのは当時の吉田拓郎さんは若く尖っており、“取材拒否”や“テレビ出演拒否”、日頃からの生意気な態度だったことからメディアに酷い形で報道されてしまったのです。
結果、新婚という立場にありながらも、ツアー中止、使用されているCMは自粛、提供した楽曲まで放送禁止となる事態となったのです。
誤認逮捕事件の翌年に長女・「彩」が誕生。浅田美代子との不倫などで離婚
四角桂子さんとの結婚の翌年に誤認逮捕の災難に見舞われた吉田拓郎さん。
釈放から1週間後の6月3日に神田共立講堂でのライブに参加し、MCの中で心境を語りました。
僕のこと書いてある週刊誌をいっぱい読んでね、凄いことが書いてあったな、暴力団みたいなことが書いてあった、拓郎、部屋の中で殴る蹴るの乱暴を働く。
おケイ(四角さん)が手紙をくれたんですよ、アントニオ猪木がタイガー・ジェットシンに負けました、残念でしたって、流石に出来た女房、すごく幸せですわ。
と、自身に纏わる報道にショックを受けながらも、嫁の四角さんはいつも通りのテンションで冷静だったことに感心したようです。
そのライブでは嫁の四角桂子さん筆頭に、小室等さん、南こうせつさん、泉谷しげるさんら友人のミュージシャンたちと共に一緒に「春の風が吹いていたら」をデュエット。
仲間たちは何も気にせず吉田さんをことを迎えてくれました。
それからら翌年の1973年12月に第一子の娘「彩(あや)」が誕生しました。

仕事も回復するどころかヒットを飛ばし、高収入アーティストになります。
自宅も高円寺から渋谷区恵比寿にある豪華マンションに引っ越しました。
子供が生まれてすぐに離婚。離婚理由は浅田美代子との不倫か
1974年12月に第一子が誕生し、仕事も順調だった吉田拓郎さん。
しかし、収入が増えたことで浪費が増え、子供がいながらも夜遊びは相変わらず。
かつての通りに衝突が多く、さらには楽曲を提供した縁で知り合った浅田美代子さんとの不倫も囁かれました。
結果、1975年春には離婚の噂が出るようになり、同年に9月には離婚を発表することとなります。
離婚当時、娘の彩さんはまだ0歳でした。
吉田拓郎さんは、離婚後にインタビューで、
「子供は欲しかった。子供が生まれたらお互いに変わって、うまくいくと思った」
と語っています。
また、子供が生まれた当時も、
「子供中心になっちゃおもしろくないね。俺の性分としてね。ちょっとつまらんね、味気ないんだよ。俺にゃ俺達の世界っていうのがある」
とも話しており、子供が生まれた後もお互いに変われなかったことが、離婚の大きな理由とされています。
それでも、離婚前には、
「ぼくは決して女房は嫌いではない。好きな女なんだ。でも、暮らしていくのは耐えられない。」
と、四角さんのことが好きであることも明かしており、複雑な離婚だったことが伺えます。
離婚の際は親権を含め、財産の全てを四角さんに譲りました。
吉田拓郎の娘・「彩」の現在。子供のために作った曲
1974年12月に誕生した長女の彩さん。
離婚当時の娘は0歳で、まだ父親の認識もない時期に離れ離れになったということです。
気になるのは父と娘のその後の関係性です。
なんと、吉田拓郎さんは離婚後に長く我が子と会っておらず、1999年に出演したテレビでは、
この前、(20数年ぶりに)娘に会ったんだよ、自分の娘じゃなかったら口説いてたかもしれないよ
と話し、離婚した0歳の頃から20歳になるまで一度も会っていなかったことを明かしました。
つまり、一番可愛い時期や少女時代、思春期も娘は父に会っていなかったということです。
また、四角さんのブログに、ある時に急に大学生になったという息子が登場しており、その後に再婚するなど、四角さんなりにも色々あったことが伺えます。
吉田拓郎さんも離婚後に不倫相手であった浅田美代子さんと再婚するなどていたことから、子供の教育上の観点から面会を自重していたことが伺えます。
娘の結婚式に吉田拓郎は呼ばれず。現在は孫も誕生している
娘が成人するまで一度も会ってこなかった吉田拓郎さん。
娘の彩さんは2003年の29歳の頃に結婚。

その様子は四角桂子さんがブログで綴っていました。
彩さんの結婚式に、吉田拓郎さんは現れなかったそうで、これは招待されなかったのか、スケジュール的に行けなかったのか不明です。
また、娘は子供を産んでおり、吉田拓郎さんにとっては孫が誕生したということになりますが、孫とのエピソードは皆無です。(孫は四角さんがブログで”愛ちゃん”と呼んでました)
吉田拓郎さんも別の女性と再婚していた都合から、娘孫との距離感は仕方ないように思えます。
それでも吉田拓郎さんは娘のために、「彩たん」「子供に」「流星」「君のスピードで」などの楽曲を作っています。
疎遠でありながらも、陰ながら娘のことを想っては心配していたと考えられます。


























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