横山剣のクールス時代。若い頃から男前!結婚した嫁はミス横浜で娘も美少女

クレイジーケンバンドのボーカルで、作曲家や音楽プロデューサーとしても活動する横山剣さん。

プレイヤーとして活躍する傍ら、レコード会社「ダブルジョイレコーズ」の代表取締役も務めています。

経歴を辿ると、芸能学校の堀越高校に在籍していたり、ガソリンスタンドで正社員になっていたり、かなり特殊です。

今日は横山剣の若い頃や、結婚した奥さん、子供のことなどについて書いてみたいと思います。

横山剣の子供時代。破天荒な父の影響でブラックミュージックを嗜み小学生にしてアメリカや中国に行く

横山剣さんは1960年の七夕である7月7日に神奈川県川崎市の聖マリアンナ病院で誕生しました。

家族構成は両親と本人の3人家族のようですが、異母兄弟もいるようです。

実父は茨城県、実母は熊本県八代市出身。

父親は美大出身で画家を志すかたわら、広告関係や音楽関係のグッズを販売する会社を経営するなど裕福な家系で育ちました。

父は横山剣さん曰く、勝新太郎のような破天荒な性格だったそう。

父は酒が飲めないのに銀座で遊び、いつもボルサリーノの帽子とオーダースーツでキメており、有名な歌手の女性などと関係があったとか、なかったとか。

長屋住まいなのにお手伝いさんがいて、運転手付きの高級車に乗っていたというエピソードも残されています。

横山剣は小学2年生の時に両親が離婚して母親のもとで育ちました。

離婚後も青山で1人暮らしを始めた父親と内緒で会っており、父の趣味であったブラックミュージックを嗜んだことが、後に音楽面で良い影響を受けたそうです。

11歳の時には香港やロサンゼルス、ホノルルなどに連れて行ってもらったり、人生全体で良い経験をさせてくれたようです。

芸名 横山剣
本名 横山正佳(まさよし)
生年月日 1960年7月7日
出身地 神奈川県横浜市
身長 175センチ
血液型 B型
出身小学校 横浜市立間門小学校
出身中学 横浜市立大正中学校
出身高校 堀越学園普通科(中退)

横山剣は小学生の頃からガキ大将。矢沢永吉に憧れて音楽家を志し作曲を始める

横山剣さんの子供時代はイメージ通りにヤンチャで、近所のガキ大将でした。

小学2年生の頃に初めて買ったレコードは、いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」で、当時から”ヨコハマ”というキーワードに弱かったよう。

同じ時期、腎炎と自律神経失調症を併発し、駒沢にある国立東京第二病院(現在の国立病院機構東京医療センター)に入院するなど、体が弱い一面もあったそうです。

学校では放送室をジャックして叱られそうな曲をかけて終わった後に「いいね!」と言っていたとのことで、当時にして現在の原型が出来上がっていたみたいです。

小学校6年生の頃、慶応義塾大学のイベントで矢沢永吉さんが率いる「キャロル」を目の当たりにし、音楽の道を志しました。

横山さんは小学生の頃から作曲を始め、小学校高学年の時に曲を完成させています。

中学で暴走族を結成し高校中退後にクールスのボーカルに就任!

横山剣さんは中学生になると不良仲間で自転車暴走族の「毒瓦斯(どくがす)」を結成しリーダーを務め、悪友らとバンドを組み、最初はドラム、次第にボーカルを担当しました。

オールディーズや、キャロル、井上尭之バンドなどのコピーをやっていたそうです。

中学の頃は家庭の事情で横浜市内を転々するなどし、高校は多くの芸能人の母校として知られる堀越高校に進学

高校では女優の浅野ゆう子さんと同級生で、過去に雑誌で対談し、男女の会話をしてはいけないなど厳しい校則などを回想していました。

芸能コースがあったことから「卒業後、音楽関係の仕事をあっせんしてくれるかも」と勘違いしていたそう。

16歳からは“横山火呂死(ヒロシ)”と名乗って音楽活動を行っていました。

剣さんは芸能人たちと違うコースに通っていたために、在学中は浅野ゆう子さんらとは交流がなく、浅野さんも剣さんが同級生だとは知りませんでした。

剣さんは自分が思っていた堀越のイメージと違っていた為、校2年で中退

高校を中退した後は横浜市立港高等学校などの定時制の高校を転々としながら、バンドを組んではデモ作り&持ち込みの日々、ガソリンスタンドの正社員となり1人暮らしも始めました。

そんな17歳の頃、常連だったブティック「チョッパー」の経営者がロカビリーバンド「クールス」のリーダーの佐藤秀光さんの店だった縁で、クールスとの交流が始まります。

高校時代に常連だった”チョッパー”経営者の佐藤秀光にローディーに誘われ中退

クールス・佐藤秀光さんが経営しているブティック”チョッパー”通っていたことがきっかけで、剣さんは佐藤さんと顔見知りとなりました。

この頃に、剣さんは佐藤さんにクールスのローディーに誘われます

「ある日佐藤さんから呼び出されて、ツアーに同行するボーヤ、つまりローディーとして明日からツアーに来い、と。「学校が……」と言ったら「学校行ったってしょうがねえだろ」と。それもそうだなと、クールスRCのスタッフになりました」

当初は定時制の高校に通いながら働くつもりでしたが、佐藤さんからの進言で定時制も中退することに。

そして、ローディーを経て1981年にクールスRCのヴォーカリストとしてデビューすることになります。

横山剣は21歳の頃にクールスRCとしてデビュー!若い頃は髪があってイケメン

横山剣さんは1981年にクールスRCのヴォーカリストとしてデビュー。

剣さんがいた頃のクールスRCは硬派のロックンロールグループで、髪型もリーゼントがお決まりでしあ。

今ではスキンヘッドがトレードマークですが、若い頃の髪があった頃の剣さんも男前です!

そのファッションにたどり着いた理由については、剣さんはあくまで”流行り”と話しています。

「なんか楽しそうというか、ツッパリがモテた時代だったんですよね。で、ちょっとオシャレだったんですね。流行の最先端をいってたのがツッパリだったんですね。その時代は」

当時からバリバリに悪寄りの趣味が好みだったかというと、そうでもないそう。

剣さんはクールス時代からカーペンターズのようなソフトロックや映画のサントラなど美しい音楽を好んで聴いていたようです。

「ツッパリグループにいたもんですから(笑)…ま、ツッパリっていう言葉は、今で言うヤンキーですか。で、まぁそういうスタイリングなので、表向きはそういった硬派な音楽を聞いてるようで、実は、こっそりカーペンターズ聴いたり、井上陽水さん聴いたりですね。バート・バカラックとか、映画音楽とかもコッソリ聴いてましたね」

1981年にクールスに入りましたが、方向性の違いから、わずか3年後の1984年に脱退。

その後、元ラッツ&スター山崎廣明さんらと「ダック・テールズ」を結成。

しかし、わずか1年半で事務所から解雇されてしまいます。

20代後半〜30代中ばまで音楽と兼業して貿易会社の社員や輸出貨物の検査

才能と華のある存在感を持つ横山剣さんですが、20代の半ばからは表舞台から遠ざかります。

貿易会社の社員になり、そこで輸出貨物の検査をするなど普通の仕事に就きます。

昼間は普通に仕事をする傍ら、作曲家としての活動は続け、夜になるとライブに出演するなど2面性を持った生活を送ります。

この頃の音楽仲間には80年代に東京JAP」のドラマーとしてデビューし、その頃にはラジオDJや司会業をこなす似た境遇の赤坂泰彦さんなどがいるなど、華やかな交流は続いていたようです。

30歳になった1990年にはクレイジーケンバンドのベースとなる「ZAZOU(ザズー)」を結成

メンバーには廣石惠一(ドラムス)、小野瀬雅生(ギター)がいました。

30代前半の頃の剣さんは、まだ髪があり正統派イケメンを保っています。

1991年の31歳の頃にはCK'sを結成しメンバーには洞口信也(ベース)、スモーキー・テツニ(ボーカル)がいました。

1995年の35歳の頃には自社レーベル「ダブルジョイレコーズ」を設立しました。

1997年にCK’Sは解散し、その後に、廣石恵一、小野瀬雅生、洞口信也、中西圭一、新宮虎児で「ゲロッパ1600GT」を結成。

これが後にクレイジーケンバンドとなります。

37歳だった1997年に「クレイジーケンバンド」を結成

1997年2月にCK’Sは解散し、同じ頃に「ゲロッパ1600GT」を結成。

バンド名は小野瀬氏の発案で、すぐに「クレイジーケンバンド」に改名

38歳になった1998年に1stアルバム『Punch! Punch! Punch!』をリリース。

玄人好みのブラックミュージックとユーモア、独自性の融合が界隈で話題になり、知る人ぞ知る実力派バンドとなりました。

この頃には現在の厳つい風貌が完成されており、現在までのファッションにまで派生していきました。

若い頃にクールスでボーカルを担当し、長く一般人としての暮らし、レコード会社の代表になった後にブレイクという成り行きがとても個性的であります。

現在までにやっていいことと悪いことのギリギリを攻めた、唯一無二の超ヤンチャで超大人な存在となったわけです。

横山剣の嫁は元ミスの超絶美人!娘・琴子と本名で番組出演

横山剣さんはクレイジーケンバンドとしてデビューする前に結婚しており、すでに子供もいます。

剣さんの奥様は10歳ほど年下で、ミス横浜に選ばれた美人さんです。

ミス横浜というのは1950年代に横浜で生まれた伝統的なミスコンで、横浜の土地柄、海外の方が訪れることが多く、外国の要人と接する機会があったり、他県のミスよりも変わった特徴を持っています。

横浜で外国の文化に深く触れ、貿易関係の仕事をしてきた横山剣さんにとっては世界観の合う女性であることが想像できます。

奥さんの名前などは公表されていませんが、10歳ほど年下なので1970年前後生まれということになります。

過去に「情熱大陸」で特集が組まれた際に、チラッと顔が映り、当時は「すごい美人!」とネットで騒がれました。

剣さんが有名になる前からライブハウスに通っていた献身的に応援していたなど、ちゃんと剣さんのことを愛していることが伝わります。

また、剣さんも売れた後も、奥さんの料理が一番のご馳走だと断言したり、休日には家族で横浜の老舗レストランで食事するのが好きとも語っており、奥さん及び家族のことを宝のように大切にしています、

2人で仲良く歩いてる姿などの目撃情報もあり、夫婦仲は良好なようです。

嫁さんとの間には1998年に第一子の娘・琴子さんが誕生し、その後も続けて女の子が生まれています。

横山剣は本名で長女・琴子とTV出演。娘2人は馬術に長けている?

横山剣さんは現在の嫁との間に1998年に長女・琴子さんが誕生しています。

長女の琴子さんに関しては、2002年頃に一緒にNHKの番組に出演。

当時の剣さんは名前が全国区になる前で、本名の「正佳(まさよし)」として出演

他の親子と変わらない自然体な出演であり、剣さん個人の音楽活動は無関係な感じでした。

娘さんを大切にしてるのが伝わり、良いお父さんぶりを見れました。

長女と次女は自宅近所にある岸競馬記念公苑の愛馬少年団に入団しており、馬術を学んでいるなど、かなり特殊な習い事をさせているようです。

ちなみに横山剣さんがチャンミンなどのK-POPを好む方として知られますが、それは娘の影響だったそうです。

娘が大きくなった後は、東方神起など韓国のアーティストのライブを一緒に観にいくなど、成人後も良い関係が続いてるようです。

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