執行猶予中に繁美さんと結婚し、同年中にはシングルのヒットと東京ドームライブを成功させた尾崎豊さん。
その後、第一子の妊娠が発覚しますが、尾崎さんの束縛は相変わらずだったそうです。
長男が生まれた後は子煩悩な良き父親になる反面、嫁の繁美さんの愛情が息子に乗り移ったことで夫婦間に距離ができ、女の陰が見えるようになります。
事務所との折り合いも悪く、個人事務所設立を巡って繁美さんと意見が食い違い衝突、別居、不倫、当てつけのような小説、離婚協議と大荒れしました。
第一子の長男・裕哉の誕生から斉藤由貴との不倫、離婚協議、仲直りまでの時系列
1988年12月 | 第一子の妊娠発覚。妊婦後も束縛が激しくなる |
1989年7月24日 | 嫁・繁美との間に第一子の長男・裕哉が誕生 |
1990年秋 | 小説「普通の愛」に集中する為にホテルに停泊し始める。11月発売の「月刊カドカワ」で尾崎豊の希望で斉藤由貴と対談し出会い恋仲になる。 |
1990年12月 | 個人事務所を設立。独立に関して繁美さんと喧嘩し別居状態に入る。弁護士から離婚を打診。 |
1991年1月 | 斉藤由貴と北海道で不倫旅行 |
1991年2月 | 小説「普通の愛」発売。書籍の中で繁美氏を連想さす悪妻が書かれる |
1991年3月 | 尾崎豊が妻子の自宅からピアノなどの私物を持ち出し本格的に離婚に進む |
1991年4月 | 91年1月の不倫旅行を一般人が盗撮しており「フライデー」に載る。妻子の自宅に取材陣が殺到し東京を離れて隠居生活。繁美さんも弁護士を立てて本格的に離婚協議。 |
1991年5月7日 | 斉藤由貴が囲み会見。「同志」と発言し不倫関係を否定せず |
1991年10月 | 新宿のホテルで尾崎豊から”やり直そう”と相談。この頃には不倫相手の斉藤由貴とは破局 |
長男を妊娠後も尾崎豊は不安定。繁美は激しい束縛に耐えて出産
尾崎豊さんと繁美さんは執行猶予中に周囲に極秘で婚姻届を提出し、その後に色々ありながらも「太陽の破片」で復帰を果たし、東京ドームに5万人を動員するなど完全復活を果たします。
入籍から復活するまでの詳細は別記事に書いています。

入籍、復活した同年の1988年12月に繁美さんは産婦人科で妊娠してることが告げられます。
尾崎さんは繁美さんのお腹にキスをして喜ぶ一方で、「お腹が出て色気が出てきた」として束縛が激しくなり、妊婦時代は外出禁止とされました。
急に父親になる戸惑いから「本当に俺の子か?」と言ってきたこともあったそうです。
この頃の尾崎さんは所属事務所との関係が悪く、仕事も少なかったということで、繁美さんとは四六時中一緒。
尾崎さんは医師から精神安定剤を処方された薬もアルコールと一緒に飲んだり、酩酊した状態で帰宅することもしばしば。
20歳にして妊娠した繁美さんは不安が多く、母親学級に行ったり出産経験のある人に相談をしたくても、束縛が激しいために、女医さんと尾崎さんの母親にしか相談できなかったそう。
つわりが酷くなる頃、尾崎さんは繁美さんの代わりにキッチンに立ち、ホワイトシチューやたまごサンドを作って世話してくれたそう。
繁美さんの食欲が回復した頃には、「同じように太って、妊婦の気持ちを知りたい。俺にとっても産休だ」と言って15キロほど体重を増やし、その頃に家族でカラオケに行くと見る影もない姿に知らない人から「きみ歌上手いね!歌手になれば?」と言われてしまったそう。
ある時にコンビニで「あの人、尾崎豊じゃない? でも、違うか? ちょっと太っているもんね」と言われカチンときて、その日から毎日ランニングと食事制限、そして地元の剣道チームに入って練習を重ね、すぐに元の体型を取り戻しました。
妊娠5ヶ月に入り、胎児が大きくなってくると「俺はこの子をクラシックとロックで育てる」と、カラヤン指揮のクラシックを流したり、ギター演奏を聴かせていました。
ピアノで「I LOVE YOU」と口ずさんでいたときに、「ピクッ」と初めての胎動を感じ、夫婦でとても喜んだそうです。
妊娠中の誕生日を祝わず繁美は号泣。次第に束縛も落ち着きクイーンエリザベス号に乗る
出産前の繁美さんの誕生日には、「ふたりで過ごせるのは最後だから食事に行こう」とベイエリアのホテルを予約するも、繁美さんの浮気を疑い不機嫌になり「やっぱり行かない」とキャンセル。
誕生日当日は一言も「おめでとう」を言ってもらえず、午前0時を過ぎた頃に悲しく泣いてしまったそう。
尾崎豊さんは兄と誕生日が近く、幼い頃から合同バースデーという形のお祝いで育ったせいで、誕生日を大切に思えなかったそうです。
妊娠8ヶ月頃から束縛も落ち着き、その頃に誕生日の罪滅ぼしの意味合いも兼ねて横浜に停車していたクイーンエリザベス号に乗車。
一緒にゆっくり歩いてくれたり、荷物を持ってくれたり、足がつりがちだった繁美さんのためにマッサージを呼んでくれたり、しっかりと愛情を注いでてくれたそう。
出産予定日の10日前には「パパとママになる前に最後にフランス料理を食べよう」と都内のホテルで食事。
その食事後に破水し、そのまま入院出産することになりますが、完全看護の都合で出産に付き添うことができず。
尾崎さんは「俺にそっくりな元気な赤ちゃんを産んでね。家でずっと祈っているから」と声を掛けて寂しそうに帰宅したそう。
出産直前に分娩室に電話。周辺に男がいないか心配
繁美さんが分娩室に入り、陣痛と闘い始めた頃、なんと尾崎さんから電話。
尾崎さんはすでに生まれたと勘違いしたのか、子供の性別を一生懸命に聞いてきたそう。
驚くべきは、また生まれてないことを知ると、今度は「先生は女か?」と、壮絶な状況にも関わらず担当医が女性かどうかを気にしたそう。
繁美さんは思わず「もうそれどころじゃないのよ!」と叫び、助産師さんにも「そんなことで電話してこないでください」と怒られてしまい、その逸話は病院でも有名になったそう。
こんなやり取りがあったせいか、繁美さんは恐怖に打ち勝ち、気持ちを落ち着かせて出産することができたそうです。
長男誕生後の尾崎豊は子煩悩な良き父。沐浴は母親よりも上手
結婚2年目の1989年7月24日に長男の裕哉(ひろや)さんが誕生します。
「ひろや」という名前を考えたのは嫁・繁美さんで、漢字の「裕哉」は尾崎さん考案です。
最初、「ひろや」と言う名前が良いと決まると、尾崎さんは「BARで名前を呼ばれたときカッコいいしね」と賛同。
尾崎さんは「親が子供にあげる最初のプレゼントが名前だね」と、姓名判断の本と睨めっこし、総格が大吉で、何より明るい性格で、創造力と行動力があり、どんな世界でも成功をおさめるという字画の「裕哉」にしました。
生まれた後、初めての面会時間では開始2時間前に「初めて我が子に会うのだから、お洒落をして来たんだ」と紫色のヴェルサーチのジャケットを着て登場。
長男が生まれた際には、「生まれてきてくれてありがとう」と語りかけたそう。
「俺は立派な父親にはなれないかもしれないけど、子供にとってのいい父親になるよ」
と言って、繁美さんも、「立派な母親にはなれなくても、いつも笑顔でいる母親になる。絶対に息子の前では笑顔でいよう」と心に決めたそう。
沐浴は母親よりも上手な子煩悩な父親
長男が生まれてきてからの尾崎さんは、ステージ上の破天荒な一面とは全く違う、子煩悩な良い父親になりました。
赤ちゃんにミルクをあげるなど、育児にも積極的に参加。
沐浴は繁美さんよりも上手で、尾崎さんは「こんにちは赤ちゃん」と歌いながら裕哉を毎日お風呂に入れたそう。
忙しい仕事の合間を縫って、遊園地などたくさんの所に連れてきて、最高のお父さんをしていました。
現在ではネット上を中心に尾崎豊さんが幼い息子を連れて色んな所に行ってる写真が拡散されており、「まさか、尾崎がこんなにしっかりと父親をしていたとは・・・」とファンに衝撃を与えました。
尾崎豊は酒や不倫に走る。独立を巡り喧嘩し別居。小説「普通の愛」では悪妻として揶揄
長男が生まれた後、尾崎豊さんは子煩悩な父親として妻子を大切にしました。
しかし、事務所との関係の悪さからストレスが溜まり、繁美さんは生まれたばかりの長男を優先させるようになり、徐々に夫婦間に距離ができ、次第に精神安定剤と酒の量も増えていきました。
ある時期から莫大な飲み代や高価なジュエリーの領収書を目にするようになり、複数人の女性がいることが発覚。
繁美さんが注意するほどにエスカレートしていき、次第には国際電話、ジュエリーショップからのサイズ直しの電話、
繁美さんがジュエリーについて尾崎さんに問いただしても、「今、仕事関係でお世話になっている人へのプレゼントだ」と言い訳。
最初は嫉妬に苦しんだそうですが、不倫が盛り上げるほどに精神安定剤とお酒の量が減ってたため、健康上、繁美さんも黙認するようになりました。
小説の”ホテルに缶詰になる”と事実上の別居
ある時、尾崎さんは繁美さんに「小説に集中したい。しばらくホテルで缶詰になる」と新宿にあるホテルを定宿。
この頃から別居のような生活が始まりました。
繁美さんは「今まで一緒に居すぎたのかもしれないと思う部分もあったし、お互いに少し離れた方がよいのではないか」と、尾崎さんの試しの一種だと思ったそう。
しかし、1990年の12月頃、個人事務所設立の話が進んだ頃、繁美さんは情熱的で天才肌な尾崎さんがビジネス面なども見るとなると、作品や活動に皺寄せがいくと思い猛反対。
尾崎さんは個人事務所設立を反対する繁美さんに「なんでお前が反対するんだ」と攻勢し喧嘩になってしまったのです。
この喧嘩の時に、尾崎さんが「別居しよう」と言い出し、別居が決定。
ただ、尾崎さんは離婚を前提とした別居をしたつもりはなく、頻繁に電話を掛けてきては急に様子を見に来たり、夕飯を一緒食べるなど、結局は妻子のことを気にかけていたそうです。
出産して子供優先になった繁美への不満?結婚当初よりも手抜きの餃子で自覚
尾崎さんと繁美さんが結婚した頃に、
「もしこの先ふたりがケンカをして離婚の危機に陥ったら、私は豊のために大好物の餃子100個を作り、豊は私に赤いバラを100本贈る」
そうしたら一度だけ考え直すという約束をしていたそう。
繁美さんはいつものように、尾崎さんから夕飯を食べに行くという連絡をもらうと、かつての約束通りに餃子100個を作って夕飯に出したのです。
しかし、尾崎さんは「美味しい」とも言わずに無表情のまま食べ、
「オマエの愛情が減った分だけ、餃子の味も落ちたな」
と言い放ったのです。
繁美さんは「え!? 愛情を込めて作った餃子なのに」と最初は思ったものの、冷静に思い返してみると、前は包丁で野菜を細かく丁寧に刻み、材料も2つほど多かったのです。
子供の世話の為に効率を考えてフードプロセッサーを使って素材を刻んでおり、尾崎さんはその味の変化を見逃さなかったのです。
繁美さんは尾崎さんよりも子どもが優先順位の上になっていたことを自覚したそう。
完成した小説「普通の愛」では嫁を悪妻に仕立てる。自分の悪い所を熟知した嫁を悪役にしてリスタート?
1991年2月に発売された既婚後に書いた小説「普通の愛」では、絵に描いたような悪妻が描かれていました。
夫に対して「安月給」「能なし」「甲斐性なし」「低能」との発言があるなど、かなりひどい扱い。
その悪妻は、明らかに繁美さんをモデルにしてるとしか思えず、「なぜあんなことを書いたのか?」と問いただしても、尾崎さんは「あくまでフィクションだ」と関連性を否定。
「安月給」に関しては、繁美さんは当時お金使いが荒かった尾崎さんに対して、「お金をセーブしてほしい」と発言をしていたなど心当たりがあり、どれも悪い方向に屈折して表現されていたそう。
それは繁美さんだけが尾崎さんの弱い部分や情けない一面を知っているので、小説を機に繁美さんを徹底的に「悪」にすることで、これまでのグレーな部分を一掃するつもりだったのです。
「誕生」が1位を記録した後に離婚協議。尾崎が荷物を運んだ後に斉藤由貴との不倫報道
尾崎さんが小説を仕上げるためにホテルに停泊するようになり、その後に発売されたアルバム「誕生」は1位を記録。
「誕生」に収録されている曲の多くは、2人が婚約してから結婚した後までに作られた曲で、繁美さんは思い入れのある曲群のアルバムが1位を記録したことに感動。
尾崎さんもそのことを自覚してか、別居状態でありながらも、
「『誕生』がヒットチャートの1位になった。繁美のおかげでもあるから最後に食事をしよう」
と食事の約束。
ただ、”最後の”という言葉の通りに、そのお祝いの食事で、尾崎さんの方から離婚を切り出されたそうです。
弁護士から離婚を打診。尾崎が荷物を持ち出した後に斉藤由貴との離婚報道
1990年の年末には尾崎さんの弁護士から離婚を打診。
繁美さんは離婚を覚悟するも、尾崎さんは相変わらず妻子のいる自宅に電話したり、たびたび帰ってきてそう。
自宅に帰ってきた尾崎さんは寂しそうにしたり、寝てる子供と繁美さんにキスをすることもあれば、繁美さんに喧嘩腰に衝突してきたり、離婚の本気度が分からず翻弄され続けました。
繁美さんが尾崎さんに”やり直すことはできないのか?”と問うと、
「ある一人の画家がいて、その画家が『純白のキャンバス』というという題名の絵を描こうとして……。
その絵の中に描いたキャンバスの上に、ある日、ちょっとしたはずみで黒い絵の具を落としてしまったんだ。それは本当にとても小さな点だったのだけど、その画家は『これは純白のキャンバスではない』と。
そのキャンバスの上にどんなに白を塗っても、真っ白に見えても限りなく白に近いグレーだと。俺たち夫婦の絆もこの絵と同じだからダメなんだ。
どう取り繕っても純白にはなれない、灰色のままで汚れている」
という話をされたそう。
つまり、一緒に築こうとした絆も、思いもよらない些細なミスで、永遠にしっかりと結ばれないというような意味合いでした。
3月頃には尾崎さんはマネージャーを連れて、自宅にあったピアノなどの楽器類や荷物を運び出したそう。
その1ヵ月後に斉藤由貴さんとの不倫スクープが世に出たのです。

繁美さんと子供が住む自宅には取材陣が殺到し、朝から家のチャイムや問い合わせの電話が鳴りやまず、カーテンも開けられない生活が始まりました。
そして、繁美さんは子供を連れて東京から離れた親戚のマンションで避難生活を送ることに。
その間に、住んでいた家はガスも水道も止められ、賃貸契約も解約。
繁美さんの方も弁護士を立て、本格的な離婚の調停が始まったのです。
この時点では繁美さんは「このまま豊と私は離れてしまうのか」と未練がありながらも、子供がいる立場として、「母として悲しい顔ばかりしてはいられない」と自分を奮い立たせたそうです。
お互いに弁護士を立てて離婚調停。繁美は免許を取得しワープロの勉強。息子との3回目の面会で仲直り
尾崎さんは設立した事務所の近くに借りたマンションに移り住み本格的な別居が始まり、お互いに弁護士を立てて離婚調停。
繁美さんは自分の都合の良い条件を求めて争うよりも、尾崎さんと条件をすり合わせて離婚した方が良いと考えていました。
離婚調停の期間、繁美さんは車の運転免許を取得し、就職サポートを目的としたワープロ教室に通い始めるなど、シングルマザーになる準備を進めていました。
かつては別居後も自宅に電話したり食事に来ていた尾崎さんですが、繁美さんが弁護士を立てた後は音沙汰もありませんでした。
しかし、長男の誕生日2日前の1991年7月22日に、尾崎さんが弁護士を通じて「裕哉に会いたい」と連絡。
初めての面会では両親が迎えにきて、弁護士が送ってきたため、「父親か弁護士が迎えにきてほしい」と繁美さんが言うと、2回目の面会では尾崎さん本人が送り届けてきたそう。
2度目の面会で繁美さんが息子を受け取って抱っこしていると、尾崎さんは繁美さん顔のすぐそばで息子にキスし、この時に女の直感で「まだ愛されているかも?」と感じたそう。
ポルシェで迎えに来て新宿の高級ホテルで豪華なディナーで仲直り。不倫の言い訳は散々
3回目の面会では尾崎さんの方から、
「あの、ちょっと話があるんだけど……シンケンな話。これからホテルかどこかで3人で食事でもしないか。親子水入らずで」
と言われ、今まで親権については何も言ってこなかったことから「なぜ今になって『親権』の話を?」と身構え、家の近くにいると言うので慌てて着替えて向かったそうです。
すると、自宅前の横断歩道の反対側に、幸せそうに手を繋ぐ尾崎さんと息子の姿があり、信号が変わって繁美さんの方に歩みを進め、繁美さんは自分のことも迎えに来てくれたと感じたそう。
そして、息子を真ん中にして手を繋いで歩いてると、近くに真っ赤なポルシェが停まっており、尾崎さんは、
「買っちゃった。しーちゃん、真っ赤なポルシェ911、好きだったよね?」
と言って、そのまま尾崎さんがよく定泊していた新宿のホテルへ。
尾崎さんはルームサービスでシャンパンとステーキをオーダーし、
「シンケンな話……。俺たちまた一緒に暮らさないか?離婚は裕哉のためにもよくないと思うんだ」
と言い、ここで繁美さんは電話で言っていた”シンケン”が”親権”ではなく”真剣”だと理解。
繁美さんは「子どものために夫婦としてつながっていたとしてもいい結果にはならないよ。私も就職先が決まったし、別の人生を歩もう」とあくまで離婚を主張。
それでも尾崎さんは「裕哉のこともそうなんだけど、俺がまた繁美と一緒に暮らしたいんだ」と引かず。
繁美さん不倫してる女性のことが気になり、「女とは別れたの?」と質問すると、尾崎さんは「いやいや、女なんてそんなものは最初からいませんよ」と手を横に振りながらまさかの否定。
繁美さんは尾崎さんの不倫のせいで子供と東京に住めずに苦労したことを責めると、
「いやぁ、俺も若かったっていうか……まぁ、蚊に刺されたようなものかな」
と、わざと下手な言い訳をし場の雰囲気が柔らかくなり、繁美さんは「蚊に刺されたぁ!?」と思わず笑ってしまったそうです。
その後は冗談を言い笑い合い、徐々に以前のような関係に戻っていきました。
ちなみに、この頃には不倫相手であった斉藤由貴さんとの関係は終わっていたようです。
尾崎豊の方から謝罪し開催中のツアーの代々木公演で妻子の為に「I LOVE YOU」。復縁後は1LDKのマンションで再スタート
尾崎さんの方から復縁を求めましたが、繁美さんは内心は尾崎さんのことを愛していたもののお互いの為に離婚した方が良い拒絶。
ドライに離婚の方針を曲げない繁美さんに対して尾崎さんは、
「愛しているよ。離れている間もずっと。
何度も忘れようとしたけど、忘れようとすればするほど、反対に思い出してばかりいた。
1日も忘れたことはなかった、ツアー中もずっと」
と、繁美さんの方からは我慢していた「愛してる」を口にし続けて、
「この6年間を振り返ってみたらいつも隣には繁美がいた。
どんなときも俺を支えてくれた。それなのに俺は申し訳ないことをしてしまった。
それに気が付いて、今日、迎えに来たんだ。」
と、まさかの謝罪の言葉まで口にしました。
そして、
「もうすぐ代々木のコンサートがあるんだ。ふたりが離れていた時間も決して無駄じゃなかったってことの答えがコンサートを観てくれればわかる」
「繁美のために『ILOVE YOU』を歌うよ。今までの償いと、これからのふたりのために」
と、当時開催中だったツアー(BIRTH TOUR)の10月30日に行われる代々木体育館公演に繁美さんを招待し、彼女のために「I LOVE YOU」を歌うと約束。
元々、このツアーは尾崎さんが個人事務所を立ち上げて最初に行われた特別な意味を持つライブで、繁美さんに寄りを戻す気がなかったとしても、このツアーだけは見に来て欲しかったそうです。
繁美さんは愛の言葉と約束に感激し涙、その日は久しぶりに親子三人で川の字になって眠り、朝目覚めた際に、寝息を立てる尾崎さんと息子さんの懐かし姿を見て心が癒えたそうです。
その後、繁美さん名義で小さな1LDKのマンションで再スタート、新婚時代の家具やおもちゃで散らかった部屋の生活感に夫婦で幸せを感じました。
代々木でのライブでは、約束通りに2階席にいる繁美さんに「I LOVE YOU」を歌い、今まで何度も聴いた中で最も優しくて愛情に満ちた歌唱に息も出来ないほどに圧倒されたそう。

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