2016年に55歳の若さで表舞台から姿を消した氷室京介さん。
80年代に一世風靡したBOOWYの再結成を待望する声がありましたが、結局は一度も実現しないまま引退状態となりました。
解散してソロになってから引退するまでの28年間、再結成どころか一度も布袋寅泰さんとの共演も叶いませんでした。
再結成や共演が叶わなかったことに、当時から現在までに様々な憶測が飛び交っています。
今日は氷室京介さんと布袋寅泰さんの関係、不仲説などについて分かっている範囲で整理してみたいと思います。
引退間近にBOOWY再結成や布袋との共演が期待された理由
氷室京介さんが引退を宣言したのは2014年の25周年を記念するツアーの7月13日山口県周南公演です。

地方公演で突如、「次の横浜ツーデイズを最後に氷室京介を卒業する」と発言し、翌日に大ニュースとなりました。
このライブ後、年内に氷室京介さんが引退すると混乱の声が飛び交いましたが、すぐに公式ホームページで正式にアナウンス。
「正式には7月19日、20日に予定している横浜スタジアム公演、及び来年企画しているファイナル・コンサートを以って氷室京介としてのコンサート活動を休止させて頂く意向です」
2014年内のライブに加えて、その後に企画してるライブを最後に活動休止するとのことで、すぐに引退というわけではありませんでした。
実は氷室さんは2007年頃から右耳の聴力が低下。

この頃からパフォーマンス中は左耳でカバーして歌っていたのです。
2014年ツアー前のリハーサルから左耳の聴力まで悪化。
一定のトーンが聴こえなくなり歌唱に悪影響が出ていたことから、「今回のツアーがダメなら引退」という意向を周囲に伝えていたのです。
そして、48公演目の周南公演で、思い通りのパフォーマンスができず、ライブ活動及び”氷室京介”の卒業を決断するに至ったのです。
横浜スタジアムが不完全燃焼に終わり”最後のライブでリベンジ”を誓う
山口県で今後の横スタと次回のライブで引退を宣言した氷室さん。
ファンも音楽関係者も注目した横スタ1日目でしたが、なんとリハーサルで氷室さんが雨に濡れたモニターに足を滑らせて転倒、胸を強打。
1日目は応急処置のまま強引にライブを決行し、終演後の診断で肋骨が2本折れ、1本はひびが判明。
2日目はギブスと痛み止めという中でライブが始まり、さらに豪雨、落雷と天候が大荒れ。
3万人のオーディエンスを屋根下に避難させライブを一時中断。

1時間ほどに中断を経てライブは再開され、氷室さんは体をかばうように懸命にパフォーマンス、最後にデビュー曲の「ANGEL」を渾身の力を込めて歌い上げました。
氷室さんはアンコールを歌い終えるとオーディエンスに向けて、満足のいくパフォーマンスでなかったことと、落雷でライブが中断になったことを謝罪。
そして、
「今日はケガをしていてこれ以上できないけど、また必ずどこかでリベンジをやると約束します!」
と、リベンジを約束したのです。
2016年のドームツアー「LAST GIGS」で再結成や布袋登場のシナリオが期待された
最後のライブは2016年4月からのドームツアー「LAST GIGS」。
引退宣言をした後の横浜スタジアムが散々だっただけに、最後のドームツアーは氷室京介さんも気合十分。
また、氷室京介さんが引退を発表した翌日に布袋寅泰さんがSNSに「This is my true feeling.」と題し、
「もし彼が本当にステージから姿を消してしまうなら『最後のステージはせめて一曲でも 隣りでギターを弾かせてほしい』そう願うのみ」
と投稿し、布袋さんは最後のライブで氷室さんと共演したい気持ちを表明していました。

ファンや関係者の間では、最後のライブでBOOWYメンバーが集結、最悪、布袋寅泰だけでも登場するのでは?と噂されたのです。
なんとも、BOOWY時代の最後のライブの場所は、当時完成されたばかりの同じ東京ドームで、タイトルも同じ「LAST GIGS」だったのです。
東京ドームは5月21,22,23日の三日間で、4月にリリースされたオールタイムベストにはBOOWY時代の楽曲も含まれたのです。

BOOWYの再結成までのシナリオは完成されており、最後の最後で伝説が再び舞い降りることが期待されたのです。
チケットはステージ裏まで埋め尽くされ16万5千枚の規模で、応募は約40万枚。
そして迎えた最終日の5月23日、演奏時間3時間半、35曲が披露。

ファンも納得の完璧無欠なライブとなりました。
しかし、結局は最後の最後までBOOWYメンバーや布袋寅泰さんは登場せず。
ファンらのBOOWY集結の願望は永遠と叶わないものとなりました。
氷室京介と布袋寅泰の不仲理由。BOOWYの再結成を断固拒絶
結局は最後の最後までBOOWYは再結成とならず、布袋寅泰さんとの共演も叶わないまま氷室京介さんは表舞台から姿を消しました。
気になるのは、なぜ氷室京介さんは意地でもBOOWYを復活させなかったのか?というところ。
そもそもBOOWYが解散した理由について整理してみると、再結成のハードルが想像以上に高いことが想像できます。
BOOWYが売れる手前、氷室さんは現在の嫁と結婚。

売れた後には奥さんが妊娠するも流産するという悲劇を乗り越えるなど、氷室さんの中で多くの転換期があり、自身の変化とBOOWYの楽曲にズレが出ていたとされます。
また、既に”若いロックスター”としてやりたいことをやり尽くし、BOOWYでやりたいことがなく、倦怠期であったとも言われています。※メンバーらは「一番売れたら辞める」「やってない場所がなくなったら辞める」と発言
解散後の元メンバーらは、”アイドル扱いされる””テレビでイジられる””ファンが喜ぶのは昔の曲ばかり”だったという胸の内を告白しています。
さらには当時は事務所との契約上、バンドの利益を搾取され、本人たちの生活が目立って豊かではなかったことも不満の1つとしてありました。
そこに加えて、バンドのトップ2であった氷室京介さんと布袋寅泰さんの確執が決定打となり解散することになったと言われています。
布袋寅泰は氷室京介に嫉妬していた?妻・山下のバンドにBOOWYから引き抜き激怒した説
BOOWYがブレイクすると氷室京介さんのカリスマ性は一気に開花。

男も女も氷室京介さんばかりに注目し、サウンドをリードしてる布袋寅泰さんは玄人好みの立ち位置でした。
最近まで聖子ちゃんカットが流行っていた日本人にとってロックバンドは新鮮そのものでリテラシーが低く、ボーカルしか知らないような人ばかり。
この氷室さんばかりがチヤホヤされる状況に、布袋さんは我慢できなかったと言われています。
さらに、氷室さんと布袋さんの確執を深めたと言われる出来事があります。
それは、布袋さんが妻・山下久美子氏のツアーに氷室氏以外のメンバー全員を連れて行こうと試みたこと。

そのことに氷室さんが激怒、BOOWYの解散が現実味を増したとのことです。
氷室さんだけ除け者にするようなデリカシーがない行動、この引き抜き事件がBOOWYの解散の決定打になったとの見方が強いのです。
その一方で、この引き抜き事件が起きる前から既に解散は内定しており、この事件と解散は無関係という意見もあります。
現在までに氷室京介は解散理由について言及せず。他メンバーは著書で語る
BOOWY解散後、氷室京介さんは多くの場所でBOOWYの再結成などについての質問に答えています。

いずれも氷室さんは「ないです」とハッキリ否定するのみ。
また、BOOWY解散の理由についても氷室さんの口からハッキリと言及したことは一度もありませんでした。
布袋さんの「秘密」では「理由は墓場までもっていく」と綴られています。
また、布袋さんは”メンバーそれぞれが違う理由(解散の)を言うと思う”と発言しており、実際に元メンバーの著書の内容でその通りになっています。
高橋まことさんの著書「スネア」では、布袋さんの引き抜きで氷室さんの立場が悪くなり、バンド内の雰囲気が悪くなったことが大きな理由と綴られています。
松井常松さんの著書「記憶」では、布袋さんがデヴィット・ボウイと共演したいと海外志向な発言をし、さらには解散について言及し、本当に解散までことが進んでしまった綴られています。
現在までに不仲が続いてる説。理由はファンの誤解や共演拒否
氷室さんと布袋さんのん不仲説は、メンバーがそれぞれの道に行った後も囁かれました。
よく言われるのが、布袋さんが吉川晃司さんとCOMPLEXを結成した際は、氷室さんが「あれが布袋のやりたいことか」と発言。
または布袋さんが氷室さんの「SUMMER GAME」を「あんな曲ならば3日で作れる」とディスったなど。
実はこれらの発言は断片的に伝えており、実際はもっと穏やかでライトな受け答えの中の一文に過ぎず、決してお互いを傷つけるための言葉ではなかったことが分かっています。
ソロの初期まではお互いに曲の感想を本人に電話したり、ライブの楽屋に顔を出したりという交流を続けていました。
ただ、ある時期を境に、お互いの作品や活動に対する言及や交流の話もなくなりました。
2011年の東日本大震災の際、氷室さんが東京ドームで支援ライブを行うと宣言し、さらには全曲BOOWY時代の曲を披露すると発表されました。
この時にファンらはBOOWYメンバーの再集結を夢見ましたが、結局は氷室さんのソロとして公演は行われました。
これは氷室さんが断固としてBOOWYを復活させない強い意志を感じさせる出来事でした。
布袋は最後まで歩み寄り続けた?不仲ではなく美学
2014年に氷室さんが引退を発表した際、布袋さんは「一曲だけ横で弾かせて欲しい」という歩み寄りがありました。
しかし、氷室さんはこれに対して表立って言及はしませんでした。
結局最後の最後まで共演をせずに活動休止。
それでも布袋さんは2016年の氷室さんの最終公演を鑑賞していたようです。
「氷室京介『LAST GIGS』最終日を観させていただきました。
耳の不調と戦いながら、35曲をフルパワーで歌いきったボーカリスト魂、最後まで貫かれたストイックな美学に心震え、感動しました。
ステージで歌う姿をもう観れないのはとても寂しいけれど、コンディションの回復を祈ると共に、これからの創作活動を楽しみにしています。
貴方と出会い、貴方の隣でビートを刻み、歌い、踊り、笑顔を交わせたことは、ギタリストとして最大の喜びであり誇りです。
心からの感謝と最大のリスペクトを込めて。ありがとう。そしてお疲れ様でした。
I truly want to thank you from the bottom of my heart. HOTEI
布袋さんがライブに訪れ、氷室さんも迎え入れてると言う点、決して2人は不仲というわけではなかったことが分かります。
断固として再結成や共演をしなかったのは、氷室さんの中で、カッコ良く終わった思い出に上書きはしない!というような美学があり、それを最後の最後まで貫いた。
これに尽きると思います。













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