椎名林檎が略奪婚した元旦那・弥吉淳二と息子。出会いと離婚理由と死因

ギタリストの弥吉淳二さんといえば、椎名林檎さんの元旦那として知られてます。

椎名林檎さんの初婚の相手であり、第一子の長男の父親であります。

今日は弥吉淳二さんと椎名林檎さんの馴れ初めと、結婚、出産、そして離婚の理由について書いてみたいと思います。

椎名林檎と弥吉淳二の略奪結婚と長男の空遥。馴れ初めは音楽活動

椎名林檎さんは2000年11月にギタリストの弥吉淳二さんと結婚しました。

当時、椎名林檎さんは22歳で弥吉淳二さんは32歳と、年齢差10歳の夫婦でした。

弥吉さんは2000年9月に前妻と離婚したばかりで、離婚から2ヶ月後の2人の結婚は「略奪婚」だと言われました。

結婚の発表は2001年1月で、妊娠も同時に発表しました。

結婚の報告が遅れた理由には、椎名さんの周囲が”略奪”と”デキ婚”とイメージが悪すぎる故に周囲の声があったからだと言われています。

名前 弥吉淳二(やよしじゅんじ)
生年月日 1968年5月17日
没日 2018年1月26日
出身地 福岡県
血液型 B型
職業 ギタリスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。
事務所 弥吉興業

椎名林檎と弥吉淳二の出会いは「虐待グリコゲン」での共演

椎名林檎さんと弥吉淳二さんの出会いは、本人の結婚挨拶の中で書かれていました。

弥吉さんは椎名林檎さんのバンド虐待グリコゲン」の2代目ギタリストとして活動に参加し、そこで椎名林檎さんと出会い、意気投合し交際に至ったのです。

今回お話致しました、子の共同制作者であり、私にとって掛け替えの無い伴侶である人間を、簡単に紹介させて下さいませ。

是をお読みになっているのは、日頃から応援して下さっている方と考え、短刀直入に申し上げますが、それは、昨年実施した実演ツアー「下剋上エクスタシー」「座禅エクスタシー」等で演奏して貰ったバンド、虐待グリコゲンのギタリスト弥吉淳二という男性です。

彼を選んだキメ手は、ギターもエフェクターも圧倒的にちょっとしか 使わない所です。

だけどもし、万が一、記者さんなどに尋ねられる機会があれば、「三枝師匠のモノマネかな……_」 と、答えようと思って居ります。

大変長くなりましたが、そろそろまとめさせて戴かなければなりませんね。

これからも、今迄と何ら変わらず、「何時も何時も本気」で生きていくつもりなので、 何卒です。

皆様が本気で聴いて下さるのが凄く嬉しいです。支えて戴いて居ります。

有難ふ。ごきげんやふ。

結婚した翌年に第一子の長男「空遥」を引退覚悟で出産

結婚した翌年2001年1月に結婚と共に妊娠を発表していた椎名林檎さん。

2001年7月12日に第一子となる長男・空遥(そなた)を出産します。

デビューしてわずか3年で、23歳の若さでの出産でした。

実は椎名林檎さんは第一子の出産で産休に入った際、そのまま引退を考えるほどに思い詰めていたそうです。

しかし、残っていた契約や環境の都合から、それは叶わなかったそうです。

椎名林檎さんが家庭に入りたいと考えていた過去があるなんて、今考えると凄いことですね。

結婚して2年目の2002年に離婚を発表

長男が誕生して椎名林檎さんも活動を再開し、順風満帆だと思われた矢先、2人は離婚を発表します。

2002年1月に、結婚してわずか2年後に離婚を発表しました。

親権は椎名林檎さんが持つことになり、離婚後も弥吉さんは定期的に長男には会っていたそうです。

椎名林檎と弥吉淳二の離婚理由は不倫?週刊誌にアートディレクターとの浮気

弥吉淳二さんと椎名林檎は、結婚して2年後の2002年1月に離婚。

離婚の理由は明かされませんでしたが、後に”椎名林檎の浮気では?”と言われていました。

そもそも弥吉淳二さんも元既婚者で椎名林檎さんと略奪婚。

また、椎名林檎さんは弥吉淳二さんと結婚する直前にも別の既婚男性と不倫していたのです。

弥吉さんと略奪婚する直前の2000年3月に、フライデーにて既婚者のアートディレクターの男性と仲良さげにデートしてる姿が撮られていたのです。

弥吉さんと続けて不倫だったということで、椎名林檎さんの恋愛事情が自由奔放との印象が定着し、離婚当初も”また椎名林檎が遊んだのでは?”と言われていました。

椎名林檎の本能的な生き方がカリスマ的

若い頃から自由奔放な恋愛を続けてきた椎名林檎さん。

最初の離婚の理由は明らかになっていないものの、多くが椎名さんの不倫だと勘繰っています。

椎名さんは弥吉さんと離婚した後も、歌舞伎役者の大御所・中村勘三郎さんとの関係や、漫画『スラムダンク』『バガボンド』の作者として知られる漫画家の井上雄彦さんとの関係も報じられました。

恋愛沙汰になる相手は決まって年上の”その道のトップ”の男性です。

椎名さんの音楽活動も年々洗練されていき、私生活で遊んだ分のアウトプットも凄まじく、作品に人生を駆ける生き様がカッコ良いとカリスマ的人気を博しました。

その後に元電通マンで映像作家の児玉裕一さんと事実婚の道を選んだのも、最初の弥吉淳二さんとの離婚での学びがあったからだと言われています。

弥吉淳二は2018年に死去。死因は膀胱癌?椎名林檎のコメントはなし

弥吉淳二さんは椎名林檎さんと離婚した後も、音楽活動で表舞台に出続けました。

多くの有望ミュージシャンの音作りを手伝っただけでなく、aikoさんらのサポートメンバーとして人気でした。

そんな弥吉淳二さんは2018年1月26日21時31分に49歳で亡くなりました

亡くなる約2年半ほど前から闘病生活が始まっていましたが、自分の病名を公表しませんでした

死因の詳細は公表されませんでしたが、ネット上では膀胱癌ではないか?”との噂がありました。

噂が広がった発端は、Twitterの「牛骨ロック」というアカウントから、”膀胱癌で亡くなった”との書き込みがあったことからです。

裏情報を書くアカウントであることから、まんざらガセネタではなさそうですが、未だに公式からは膀胱癌とは公表されていないので、あくまで噂程度との認識です。

元嫁・椎名林檎からは追悼のコメントはなし

弥吉淳二さんの悲報が流れると、すぐに多くの音楽関係者が追悼の声明を出しました。

また、弥吉さんのサポート先のファンの間でも人気だったために、多くのミュージシャンのファンからも弥吉さんを惜しむ声が書き込まれました。

元嫁である椎名林檎さんからも何かコメントが出ると期待されましたが、特に何も追悼の言葉などはありませんでした。

過去に土屋アンナさんが元夫が亡くなった際にすぐに追悼コメントを出したのとは対照的な対応でありました。

当時の椎名林檎さんはすでに児玉さんと事実婚状態で、弥吉さんとの間に生まれたも息子も高校生と難しい時期だったために、余計な声明は控えたとの見方が強いです。

ただ、椎名さんは離婚後も音楽家としての弥吉さんをリスペクトしていたので、今後は作品のどこかに彼を追悼するスパイスを加えて形にするのでは?とも期待されています。

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