矢沢永吉さんは現在までに2度の結婚を経験されています。
初婚の相手は下積み時代を支えた”すみ子”さんでしたが、ブレイク後に現在の嫁・マリアさんと不倫関係になり、当時は大きな話題となりました。
今日は矢沢永吉さんの当時の不倫と、現在の嫁・マリアさんについて書いてみたいと思います。
矢沢永吉はロサンゼルスで当時モデルだったマリアと不倫関係になり離婚前に子供が生まれる
矢沢永吉さんは1972年に3歳年下の一般人の女性・すみ子さんと結婚。

その後にキャロルがブレイクし、3人の子供が誕生していました。
キャロル時代は川崎で妻子と共に幸せな日々を過ごしていましたが、解散してソロに転身すると馬車馬のように働き詰めとなり、家に帰らない日が続きました。

ソロアーティストとしても成功を収めますが、その代償として家族が犠牲になります。
矢沢永吉さんは海外レコーディングの先駆者として知られていますが、不倫相手となるマリアさんと出会ったのも海外・ロサンゼルスです。※東京都青山という説もあり

70年代の後半にマリアさんと出会い、不倫関係になり、80年代の頭には週刊誌によって不倫が報道され世間に知れ渡りました。
マリアは天才デザイナーでエイズで死去した・熊谷登喜夫の元嫁
マリアさんは1954年6月14日生まれで、矢沢永吉さんよりも4〜5歳年下の女性です。

名前と顔の通りに純粋な日本人ではなく、アメリカとのクオーター。
不倫報道があった当時は、マリアさんの詳細を週刊誌が報じていました。

なんとも、マリアさんは当時にして既に結婚の過去があり、元夫は天才ファッションデザイナー・熊谷登喜夫さんでした。

元夫の熊谷登喜夫さんはコシノジュンコ、高田賢三、山本寛斎、山本耀司など数多くの著名デザイナーを輩出した装苑賞を受賞した実績がある方です。
昭和を代表するデザイナーの1人であり、そんな彼に愛されていたマリアさんは相当な上玉であることが分かります。
現在になってはマリアさんも既婚で矢沢さんとW不倫だったのでは?との憶測もあります。
しかし、当時にして熊谷さんはフランスで仕事をしていたことから、既に離婚もしくは夫婦関係は破綻していたと思われます。
また、熊谷登喜夫さんは1987年にエイズで死去されています。
矢沢永吉と不倫相手だったマリアに子供が誕生。略奪婚だった?
矢沢永吉さんはマリアさんとの不倫関係が始まって間もなくして、マリアさんと原宿で極秘同棲生活を送ります。

マリアさんと一緒に住んでいたのは当時にして珍しいデザイナーズマンション「ビラ・ビアンカ」。※現在ではヴィンテージマンションとしてお洒落なお金持ちに人気の憧れの物件になっています。
マリアとの同棲生活は長く続き、1985年にはマリアさんとの間に第一子の娘・洋子さんが誕生しました。
マリアさんとの子供が誕生した時、矢沢永吉さんはまだ奥さんとの籍を抜いていませんでした。
矢沢永吉の2度目の結婚は略奪婚のようで略奪婚ではなかった?
奥さんと離婚するよりも前に不倫相手の子供が誕生してしまった矢沢永吉さん。
奥さんとの夫婦仲が破綻していたにせよ、娘が生まれる前、さすがの矢沢さんも逃げたい気持ちが強くあったそうです。

しかし、いざ娘を抱っこすると、父親として責任を持って娘を「矢沢」の苗字にして幸せにしたいと思ったそうです。
「東京に帰ってきて初めて抱いた時に思った。ああ、よく生まれてきてくれたと。その時、いましばらくは大変な思いをさせるけど、必ず矢沢の姓にさせるからと思ったよ」
娘が生まれてから4年後の1989年、ようやく矢沢さんは奥さんと離婚。
離婚の際には3500万から6000万ほどの慰謝料を支払ったそう。※離婚後も経済的に元嫁と子供達を支援
そして、離婚した翌年1990年にマリアさんと再婚したのです。
側から見れば立派な略奪婚ではありますが、当時の状況の詳細を知ると色々とキツイ事情があったことが伺えます。
結婚後、マリアさんとの間に1985年の長女に続いて男の子2人が誕生しています。
2人目の嫁・マリアが矢沢永吉を育てた?ゴージャスな世界観と借金脱出の足掛かりになった
矢沢永吉さんの初婚の相手・すみ子さんは矢沢永吉さんの創成期を支え、彼女がいなけれなキャロルとして売れることもなかったと言われています。
2人目の嫁・マリアさんは不倫相手だっただけに印象は良くないですが、実はソロとしての矢沢さんの活躍に多大な影響を与えています。
そもそも、矢沢永吉さんはキャロル時代からソロ初期にかけて、革ジャンやデニムという典型的なバンドマンのスタイルがメインでした。
しかし、マリアさんと出会って以降、彼女に「ジーパンも良いけどアルマーニが似合うような男になりなさい」と言われたことからイメチェンを図りました。

以降、スーツなども着こなし、ワイルドさとエレガントさを融合させたゴージャスな色気も武器として加えました。
マリアさんのアドバイスがあったことで表現のバリエーションが広がり、中年期以降のキャリアに大きな影響を与えました。
詐欺で35億の借金を背負ってヤケ酒する矢沢永吉に発破をかけた
矢沢永吉さんといえば、90年代に仲間に騙され総額35億に及ぶ借金を背負ったことで知られています。

この借金を背負った後、矢沢さんは「もう終わりだ」と弱気になり、毎晩のように強いお酒を呑んでヤケになっていたそう。
そんな時、マリアさんは矢沢さんに、
「お酒もいっぱい飲んだでしょ?飽きたよね?
たしかに大変な額だけど、矢沢永吉が本気を出したら返せないお金じゃないから」
と投げかけ、叱咤激励。
そして、矢沢さんは「映画だと思えば良いや」と開き直ることができ、そこから更なる快進撃の足掛かりとなったのです。
矢沢さんはライブの本数を増やすなど働きまくり、たった数年で借金を返済。
借金を返し始めた50代の音楽活動は、矢沢永吉さんのキャリアの中でも名シーンが多く、終わってみればロックスターとしての地位に蓋をした形となりました。
もし、マリアさんが当時の矢沢さんを励まさず腐っていたら、矢沢永吉さんは「平成初期まで凄かった人」で終わっていたことでしょう。



























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