演歌歌手として長年にわたり活躍する吉幾三さん。
私生活では妻・寿佐子(すさこ)さんと長い結婚生活を築いています。
吉幾三さんと嫁は下積み時代から遠距離恋愛を経ての結婚でした。
今日は吉幾三さんと妻・寿佐子さんの馴れ初めから遠距離恋愛、結婚までの歩みを紹介します。
吉幾三と嫁・鎌田寿佐子は1973年夏に小笠原ツアーの船上で出会った
吉幾三さんは1975年の23歳の頃に現在の嫁・寿佐子(旧姓:鎌田)さんと結婚しました。
嫁さんとの出会いは結婚する2年前の1973年の夏で、吉幾三さんは21歳でした。
1973年といえば、吉幾三さんは”山岡英二”の芸名で「恋人は君ひとり」でデビューしたばかりの年です。
そんな1973年に偶然、小笠原諸島ツアーに参加して出会いました。
2人は別々に参加し行きの船では会話を交わすことはなかったものの、帰りの船で台風に襲われ、2人揃って船酔いし、酔い覚ましにデッキに出た際に出会ったのです。
この際、吉幾三さんデッキに持ち込んだギターで即興で演奏していたそうですが、その曲も寿佐子さんはしっかりと聴いていたのです。
この機会に2人は仲良くなり、後に交際に発展したということです。
吉幾三は下積み時代に遠距離恋愛を実らせて結婚
1973年に嫁となる鎌田寿佐子さんと出会った吉幾三さん。
当時、吉幾三さんはなかなか売れない演歌歌手で、一方で鎌田寿佐子さんは宮城県仙台市で製薬会社で働く会社員でした。
吉幾三さんは東京都江東区でレコード店で働きながらの音楽活動という生活で、寿佐子さんとは義兄(姉の夫)の家からこっそりと電話をかけることぐらいしかできず、遠距離恋愛となりました。
吉幾三さんはレコード店を辞めて職を転々としながらも、本業の歌手活動は花咲かず、苦しい時期が続きました。
しかし、吉幾三さんはお金がないながらも寿佐子さんと結婚がしたいと、宮城県仙台市の彼女の実家に挨拶に行きます。
寿佐子さんの両親は、生活の安定しない吉幾三さんとの結婚に大反対。
それでも吉幾三さんは諦めずに粘って、なんとか寿佐子さんの両親に結婚を許可してもらいました。
1975年の23歳の頃、無事に寿佐子さんと夫婦になることができました。
結婚後も売れない時代が続き嫁・寿佐子に支えてもらう
結婚後、1977年に吉幾三さんは「俺は絶対!プレスリー」がヒット。
その後、70年代後半に第一子の長女・幾美(「KU(くー)」名義で歌手活動)、第二子の長男、80年代前半に第三子の次女・三美(みみ)が誕生。
順風満帆だと思われましたが、父親になった後にヒット作は続かず、再び苦しい時期を過ごしました。
そんな時も嫁の寿佐子さんは文句を言わずに会社員の仕事を続け吉幾三さんと子供を支え続けました。
そして1984年に再び「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒット。
ようやく生活の基盤が安定し始め、1985年5月5日には吉幾三さんの故郷・青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)にある「斜陽館」で結婚式を挙げました。※「斜陽館」は太宰治の生家で当時は旅館

結婚式には地元の有名な方々を筆頭に友人の千昌夫さんなど芸能人も参列。
挙式で当時8歳だった長女がエレクトーンを演奏し、長男と次女がはしゃぐ中で夫婦が入場と、とてもユニークで暖かい演出がありました。
吉幾三の結婚式では夫婦で号泣。両親や参列者も感動
結婚式で吉幾三さんは「シワだらけの新妻」と冗談混じりに語りながらも、津軽方式の作法で三三九度の盃を受ける際は号泣していました。
夫婦で苦労の末に挙げることのできた素晴らしい結婚式に参加していた千昌夫さんも、
「”俺さ東京いぐだ”がヒットしたんで電話してみると、奥さんの声が涙ぐんでて、俺も思わず涙が出そうになりました。今日は本当に良かった。4、5千円の仕事をキャンセルした甲斐があったよ」
とジョークを交えて絶賛していました。
母の”のせる”さんは、
「東京に出る時はギター一丁担いで行ったんです。まさかこんな嬉しい日は来るなんて、体中いっぱい嬉しいです。」
と号泣。
父の稲一さんも、
「昨日の晩も、善一(本名)が”俺もなんとかここまで来たけどまだまだ未熟者だぁ、これから頑張るからどうか長生きしてけれや”と言ってくれました」
と号泣。
笑いと涙に溢れる良い結婚式でありました。
まとめ
- 吉幾三はデビュー同年に出会った寿佐子と遠距離恋愛の末に1975年に23歳で結婚。
- 売れる前の結婚で、結婚挨拶では嫁の両親に反対されるも粘って受け入れてもらった。
- 結婚後は一度はヒット曲を出すが子供が3人生まれて苦労し、嫁・寿佐子に支えてもらう。
- ようやく国民的な歌手になった後に挙式を挙げて、夫婦・両親・友人で号泣するなど良い結婚式であった













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