ジュディオングと元彼・寺尾聰の逸話。美術商の夫・鈴木洋樹との離婚理由

70年代後半
この記事は約5分で読めます。

ジュディ・オングさんといえば長年に渡って歌手・女優として活躍し、「魅せられて」の大ヒットでも知られています。

私生活では俳優で歌手の寺尾聰さんとの交際が有名でした。

当時は結婚秒読みとまで言われていましたが、その後に破局。

長く独身を貫いた後に映画監督の鈴木洋樹さんと結婚し、約10年後に離婚しています。

今日はジュディ・オングさんの寺尾聰さんとの交際と、その後の鈴木洋樹さんとの結婚についてわかっている事を整理してみたいと思います。



ジュディ・オングと寺尾聰はなぜ結婚しなかったのか?「ルビーの指環」との関連性

ジュディ・オングさんと寺尾聰さんの関係は、1970年代の芸能界で「結婚間近」とも噂された若いスター同士の恋愛として知られています。

2人の出会いは1970年の前半頃です。

転送元;X

当時、ジュディ・オングさんは台湾出身の歌手・女優として芽を出し、寺尾聰さんはザ・サベージを脱退し俳優として活躍していた時期でした。

芸能界での仕事を通じて知り合い、交際に発展したと伝えられていました。

交際当時、ジュディオングさんは20代前半で、3歳年上の寺尾さんは20代半ば、業界の間では2人の結婚が噂されていました。

結婚間近で破局。名曲「ルビーの指輪環」は2人の婚約がテーマだった噂

結婚秒読みとまで言われていたジュディ・オングさんと寺尾聰さん。

しかし、その後に破局

別れてしまっ理由としては、家庭に入って欲しかった寺尾聰さんと、仕事を頑張りたいジュディオングさんの価値観のすれ違いだったとされています。

この破局後、2人揃って国民的アーティストのブレイク。

寺尾聰さんが1981年にリリースしヒットを記録した代表曲「ルビーの指輪」は、ジュディオングさんとの関係を歌っていたという都市伝説があります。

同曲はレコ代、歌謡賞、放送大賞と賞レースを総なめにした80年代初頭を代表する偉大な曲。

2人が結婚式直前に破局していたこと、婚約指輪がルビーだったことから同曲との関係性が疑われるようになりました。

しかし、この曲は作曲こそは寺尾聰さんでしたが、作詞は松本隆さん。

また、寺尾さんはジュディさんと破局してすぐの1973年 に范文雀(はん ぶんじゃく)さんと結婚し1年半で離婚、そして資生堂CMで一世を風靡した星野真弓さんと1981年に再婚しています。

ジュディさんとの関係は寺尾さんにとってあまりにも遠い過去であったことから、その説は無理があるように思えます。

しかし、過去の2人の交際のインパクトと、「ルビーの指環」の儚い歌詞からも、現在も同曲との関係が都市伝説のように語り続けられています

ジュディオングの元夫は鈴木洋樹。美術商のお金持ちも離婚した理由

ジュディ・オングさんは寺尾聰さんと破局後、長く独身貴族を貫きました

20代、30代を独身で過ごしますが、歌手としては大いに飛躍しました。

この先もずっと結婚せずに歌手活動に専念するかと思われました。

しかし、1992年5月、42歳のときに美術商の鈴木洋樹(すずきひろき)さんと結婚

40代にしてまさかの結婚ということで、当時はファンも驚きでした。

結婚相手の鈴木洋樹さんはもともと商社マンとして働いたのち、美術の世界に転身した人物。

鈴木洋樹さんは画商として活躍し、世界的なアーティスト・ヒロ・ヤマガタ氏の日本代理権を持ち、当時の年商は約数十億円

ジュディオングさんも1975年頃から版画家として活動し始め、棟方志功の門下である菊地隆知さんや井上勝江さんに師事するなど、芸術業界での人脈が豊かで、その先で出会ったとされています。

日本と台湾の2カ国で結婚式も5年で離婚。理由は”忙しさ故のすれ違い”

ジュディオングさんと鈴木洋樹さんの結婚式は日本と台湾の両国でそれぞれ盛大に行われました。

それぞれに業界の大物や仕事仲間、政財界や芸能界から多くの人が出席。※2000人以上が集結

一般人では想像もできない規模の盛大な結婚式でありました。

婚後、ジュディ・オングさんは歌手・女優・版画家としての活動を継続しながら、夫・鈴木洋樹さんの仕事も支える形を目指していたとされています。

しかし、実際にはジュディ・オングさんは芸能活動と版画制作の掛け持ち、鈴木洋樹さんは美術商として国内外を飛び回る生活と、想像を絶する多忙さ

結婚後に子供は生まれず1997年に離婚を発表。

結婚生活は5年後ほどで終了となりました。

まとめ

  • ジュディ・オングは過去に映画監督の鈴木洋樹さんとの結婚と離婚を経験している。
  • 1972年に結婚したが、約10年後に離婚。
  • 離婚理由については、仕事中心の生活によるすれ違いや価値観の違いなどが背景にあったとされているが詳しい事情については本人たちから多くが語られているわけではない。
  • ジュディ・オングは初婚前に俳優・歌手の寺尾聰さんと交際していた。
  • 寺尾さんとは結婚秒読みと言われていたが「家庭に入ってほしい」と言われ仕事がしたいジュディオングとすれ違って破局。
  • 破局にそれぞれが仕事で成果を出して、お互いに良い未来を歩めた。
  • 寺尾の名曲「ルビーの指環」はジュディオングとの破局がテーマという都市伝説がある
久保田早紀の若い頃。美人伝説と現在。夫・久米大作と結婚し宗教音楽の活動
久保田早紀さんといえば、昭和の名曲「異邦人」で一世を風靡したことで知られます。現在もメディア出演も多く、その度に久保田早紀さんの若い頃が「可愛かった」「美人だった」と話題なります。今日は久保田早紀さんの若い頃の美しさや可愛さ、または27歳で...
小坂明子の現在。夫・千葉健治は元マネージャー。長男の龍太郎は事故死で死別
小坂明子さんといえば、70年代に楽曲「あなた」が大ブレイクしたシンガーソングライターです。当時、大手事務社や名プロデューサーの手によってスターになる少女が多かった中、小坂明子さんは自身で作詞作曲で16歳にして成功を手に入れました。今日は、若...
Sugar・モーリの経歴と死の真相。旦那の出張中に死産し取り乱す
80年代に活躍した女性3人組グループの「Sugar」。1987年に人気が衰えないまま解散を選択し、3人のメンバーはそれぞれの道を行きました。しかし、解散の2年後にメンバーの1人である”モーリ”が29歳の若さで死去。亡くなった際の詳細が明かさ...
竹内まりや&山下達郎の幸福の科学信者説は妹の影響。実家の宗教は”生長の家”
昭和の終わりから平成を席巻した竹内まりやさんと山下達郎さん夫妻。夫婦揃ってメディアに滅多に出ないことからも、音楽活動以外の側面は謎が多いです。2人の噂で最も関心を引くのか、夫婦で信仰してる宗教です。過去に竹内まりやさんの実家が新興宗教を信仰...
渡辺美里が結婚しない理由。旦那候補に大江千里と小室哲哉
80年代に一世風靡した美人ポップスター・渡辺美里さん。1986年ヒットの代表曲「マイレボリューション」を筆頭に、多くの名曲を世に送り出し、抜群の歌唱力でオーディエンスを楽しませてきました。20年間連続で西武球場ライブを続けたことも、彼女の偉...
中島みゆきと天理教。修行を終え脱会は不可能?”糸”は宗教幹部に贈った歌
昭和から平成にかけて第一線で活躍された歌手の中島みゆきさん。若者から年配の方まで支持される希少な歌姫です。そんな中島みゆきさんですが、私生活では新興宗教”天理教”の信者として知られています。今日は中島みゆきさんと天理教について知られているこ...
森田童子の父・中西正一は毒親?弟は”なかにし礼”。倒産、借金、金銭無心。
森田童子さんといえば、死後に叔父である”なかにし礼”さんの著書「血の歌」で本名や生い立ちが明かされ話題となりました。叔父である”なかにし礼”さんは、森田童子さんの父・中西正一さんとは15歳も年の離れた兄弟で、学生時代まで兄の正一氏に養っても...
森田童子の素顔(本名”美乃生”)。夫・前田亜土と叔父”なかにし礼”との関係
森田童子さんといえば人気ドラマ「高校教師」の主題歌「ぼくたちの失敗」がヒットしたことで知られるフォークシンガーです。主に70年代の中盤から80年代の前半にかけて活動しましたが、存在が世間に知られるようになったのは引退後でした。活動していた時...
山本リンダと創価学会。幹部であり広告塔で選挙応援も。信濃町で楽天の三木谷に接触事故
60年代と70年代にアイドル歌謡を流行らせた歌手の山本リンダさん。「狙いうち」や「どうにもとまらない」など昭和を代表する名曲を数多く抱えている大御所歌手です。私生活では昔から新興宗教である創価学会との強い繋がりが有名です。今日は、山本リンダ...

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました