歌手の島谷ひとみさんといえば、実はデビューは演歌であったり意外な過去を持ちます。
また、引退した島田紳助さんとの意外な接点を持っていたことでも知られてます。
2021年にタレントのマリエさんの島田紳助さん関連の告発をすると、島谷ひとみさんにも飛び火。
過去に島田紳助さんと島谷ひとみさんがいかがわしい仲だったのでは?という憶測が出るようになりました。
今日はデビュー当時の島谷ひとみさんと、その頃の島田紳助さんとの関係、さらにマリエさんの告発を掘り下げてみたいと思います。
マリエが島田紳助に枕を強要された過去を告白
タレントのマリエさんといえば、2000年代にテレビメディアに多く登場して活躍したハーフタレントです。
父がフランス系カナダ人で母が日本人のハーフで、身長170センチの抜群のスタイルを誇り、モデルとしても活躍されました。
マリエさんは2010年代から露出が徐々に減り、この頃から”干された”との噂が出ていました。

そして、2021年4月4日にマリエさんはインスタグラムのライブ配信の中で、過去の共演した大物お笑いタレント・島田紳助さんが枕営業のお誘いを受けたことを告白しました。
島田紳助さんには以前から、気に入った女性芸能人に対して、自身の権力を傘に“枕”を強要する枕営業の噂が囁かれていました。

一時は、「紳助愛人7人」「喜び組疑惑7人の女」とのタイトルの記事が登場したこともありました。
本人の告発に対してネットでは「やっぱりそうか」というリアクションがほとんどでした。
島田紳助は気に入った女性芸能人を囲むのが好きだった
2021年に15年前の当時18歳だった頃に、島田紳助さんから枕営業の誘いを受けたと告白したマリエさん。
詳細には、バラエティ番組の打ち上げの席で、タレントの出川哲朗さんや、お笑いコンビ“やるせなす”も同席する中で誘われとのこと。
周囲は紳助さんを止めるどころか、「いいじゃん、マリエちゃんやりなよ」などと煽っていたとのこと。
このことから、マリエさんは現在も出川哲朗さんに対して嫌悪感を持っており、
「出川さんがテレビに出てるのも大嫌いだし、出川さんがCMに出てるのもマジで許せない」
と、名指しで批判していました。
また、所属事務所も断ろうとするマリエさんに対して「仕事がこなくなるけどいい?」と諭したとして、当時の芸能界のあり方に対して苦言を呈していました。
その後に枕の誘いを断ると、見事に出演していたほとんどのレギュラー番組からハズされてしまったそうです。

ちなみに、枕の誘いがあった打ち上げとは、島田紳助さんがMCで出川哲朗さんがぱねたーを務め、マリエさんがリポーターとして出演していた「世界バリバリ☆バリュー」だと言われています。
その後に出川哲朗さんなどが否定していましたが、マリエさんの告発は辻妻が合う点が多く、告白を信じる人が多い状況でした。
島谷ひとみと島田紳助の接点。高校生の頃に番組に出演
島田紳助さんは過去に何度も週刊誌やスポーツ紙に、女性芸能人を囲って”喜び組”を作っていると報じられてきました。
当時有名だったのは、熊田曜子さんやほしのあきさん、小林麻耶さんや上原美優さんなど。

特に”ヘキサゴンファミリー”とも言われている、木下優樹菜さんや、スザンヌさん、里田まいさん、misonoさんらは、その説が強く言われていました。
その他にも森泉さん、島崎和歌子さんなどの名前も出たことがあり、その中に島谷ひとみさんの名前が入ったことがあるのです。

噂される多くが女性タレントやグラビアの女性なのに対して、バリバリの歌手である島谷ひとみさんの名前が入っているのは違和感がありました。
実は島谷ひろみさんの歌手としての経歴を辿っていくと、なんとデビュー当時に島田紳助さんとしっかりと接点があったのです。
島谷ひとみのデビュー曲は島田紳助が作詞の「大阪の女」
広島出身の島谷ひとみさんは子供の頃から歌手に憧れていました。
高校2年生だった1997年、「第1回 THE JAPAN AUDITION」での歌手部門に参加。
応募総数約20万人の中から見事合格を獲得し、以降は地元の広島から東京まで往復しレッスンに通う毎日でした。
当時、平日は広島で学校に通い、休日は上京して歌のレッスンを受けるというハードな生活でした。
デビューが決まったのは高校を卒業した後の1999年。
島田紳助さんの番組「紳助の人間マンダラ」内の企画で、島田紳助さんプロデュースの元でデビューすることになったのです。

デビュー曲「大阪の女」の作詞は島田紳助さん、エイベックスから演歌歌手としてのデビューでした。
当時の島田紳助さんは島谷さんのあまりの可愛さにゾッコンで、大のお気に入りだったとのことです。
ここでの接点こそが、島田紳助さんとの歪な関係が噂される発端になっているのです。
ちなみに島谷ひとみさんは演歌歌手としてデビューしたことについて、
「ポップスでデビューするつもりで練習していたのに、ある日、演歌歌手でデビューすることになって…」
と不満だったとのこと。
その後にポップスとしてブレイクし、島田紳助さんとの接点もなくなりました。
島谷ひとみは島田紳助との接点を黒歴史にせず”喜び組”はガセ確定
デビュー曲が島田紳助さん作詞の楽曲だったことで、過去に関係があったのでは?と疑心暗鬼な声がある島谷ひとみさん。

仮に本当にそうだったとしたら、彼女にとって演歌歌手としてデビューした当時のことは黒歴になっていることでしょう。
しかし、デビュー20周年となった2019年、記念アルバムのイベントで突如「大阪の女」を歌唱しファンを驚かせました。
歌唱後に島谷ひとみさんは、
「実は、20年前に私は演歌歌手として、『大阪の女』でデビューさせていただきました。当時、8センチCDとカセットでリリースしたのでもう作品は売ってないと思います(笑)」
「“若い私に演歌は似合いませんか?”と18歳の時に呼びかけたのですが、(20年経って)しっくりくる年齢になっちゃってるなって歌いながら思いました」
と「大阪の女」の思い出や、意外な過去を堂々と語りました。
そもそも、島谷ひとみさんは記念イベント以外でも「大阪の女」を歌唱しており、決して隠したい過去とは思っていないようです。
特に黒歴史という扱いをしていない点、過去に島田紳助さんと如何わしい関係ではなかったと思われます。


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